日記・コラム・つぶやき

2017.01.07

もうなのかなのか


*


もう七日なのか

この言葉も例年吐いているような気がするが、大晦日からもう1週間が経つ。年をまたぐと1週間前のことが実際よりももっと以前のことのような感覚に陥るというのが不思議だ。例えばクリスマスが2週間前ではなく、もっと過去にあった感じがしないだろうか。

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それはもしかすると太陽の光の加減が年をまたぐと事実ぐっと変わるのかもしれない。と、九州に来てから強く思うようになった。日本古来の旧暦=太陰暦で測らなければつじつまが合わないようにも思えるが、福岡県福津市の宮司浜のこの季節の夕暮れを見ていると、新暦=太陽歴でもこの仮設は不思議と当てはまるのである。

ここの海岸の入り口には鳥居があり、それと1kmほど内陸に入ったところにある宮司嶽神社の鳥居とが参道を介して一直線に結ばれていて、年に2回その鳥居の中にスッポリと嵌るように落ちる夕陽が拝める。それを待たずしてもこの時期のここの日没は神々しい。やはり12月の雰囲気と今月とではがらりと変わる印象が僕にはある。

その昔は交易の要衝で、さまざまなことがこの界隈を中心に決められたのではないかと推測される九州北部は尚更その感があるのだろうか。大晦日と元日のたった数時間の間に「旧年」と「新年」があるこの時期は、「時間の経過」の何たるかを教えてくれているようにも思える。大切に生きろなのか、早く成し遂げろなのか、それとも諸行無常、なのか。

生命がある、ということのほかに動物も昆虫も植物も平等に晒されているものがこの「時間の経過」だ。この惑星に乗っかっている限り、みな同じ速さの時間経過の中で息をし何かをしている。と、考えると自分以外もソコハカとなく愛おしく思えて来るし、幾ばくかの責任も感じるし、やり切れなさも感じる。少なくともオマエは生きている価値がないとかあるとかの議論が浅く愚かに聴こえるようになる。

今年はどう生きるか、いつもは重要なことをはっきりさせずにヘラヘラしている僕らもこの時くらいは真顔で考えても良いと思うがどうだろう。


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2015.07.19

雨は上がる

今日、九州から関東甲信越地方にかけて梅雨が明けたようだ。


震災から4年と4ヶ月。随分と時間が経った。
年初にここで「大殺界が抜け…」なんて書いたので、いい加減明るいことを考えねばと思うが、なかなかそうさせてくれずに半年。時世のせいばかりにしたくはないが、どうも世の中が僕たちが行きたい方向と逆に向かっているとしか思えず、何をしていても心に暗雲が暗く垂れ込めて来る。

戦をする準備を始めているようにしか見えない現政権や、明らかに迷走しているゲンパツの後始末、何もなかったかのように進められる再稼働。税改正で更に取り壊しが進む古い街並みと、闇雲にビル化して行く宅地。そして頻発する地震や火山活動… 今となってはあの震災がこの暗澹たる時代の火ぶたを切ったかのようにさえ思え、こうなって来るともう一個人ではどうしようもないようにも思える。


そんな中でここ最近注目を集めている《SEALs》という若者たちにはとても勇気づけられた。彼らの前身団体の集会の動画である若い女性の演説を観たのだが、彼女の主張には驚いた(「みきちゃんのスピーチ」で検索)。

それは単なる反戦讃歌や政権へのがなりたてではなく、むしろ内側に向けられた自戒的内容で、自分を含め個々人のマインドの持ち方について語っている。少々“青年の主張”的ではあるものの、50年代のアングリー・ヤングメンや僕が十代の頃聴いた英国のポップミュージックにも共通点があり、ややもすれば揚げ足を取られがちな右か左かの“どっちの翼”論も超えた論旨。まさにこういう話が聴きたかった。

もし参議院で法案がムリクリ強行可決されたとしても、次代には彼らが控えていると思えば何の心配もないような心持ちになり、悪政が皮肉にもしっかりとした次世代を育ててくれた感に溜飲も下がった。

*
彼らのように大きなデモやパレードには参加したくとも物理的にできないという人もいるだろう。しかし僕たちがそれぞれの場所でやれることはある。それは人と話すことだ。仮に解り合うことができなくとも、タブーを作らずお互い思いのたけを話すこと。そしてそれを常日頃からすること。一個人の力では何も変えられないように映るこんな時代だが、変化の風とはいつも個々人の足下から起こるものだ。

この在京中の2ヶ月間、毎日のように人と逢っている。会社員時代、営業職をしていたとき上司に「苦手な人ほど会いに行け」と言われたが、そんな人が周囲にいない今日はご無沙汰していた人から順番に我が家に招いたり、逢いに行ったりしている。僕にとってこれはむしろ生理現象に近い衝動で、それはどうやら周期的にやって来るようだ。

ちょうど会社員生活にピリオドを打った20年前も何かに取り憑かれたように友人知人に逢いに行った。そして毎晩のように友人と話す夢を見たのを細部まで覚えている。あの1年間は寝ても覚めても誰かと対話していた。思えばあの頃も今同様、これからどうして生きて行ったものかと懊悩輾転(おうのうてんてん)としていた時期だった。

瞳の奥を確認しながら話す時間は、僕らにバイタリティとヒントをくれる。人はひとりでこの世に出て来てひとりで去るが、それは自分ひとりだけではない。みな平等に「ひとり」なのである。そのことを覚えておけば、自分がどのような境地にいようと、疑心暗鬼になったり誰かと比較して落ち込んだりおののいたりする必要はない。生きている限り今日も僕は誰かと逢い、話をする。


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2014.10.31

仕事の向こう側にあるもの

*

(前回のつづき)

その『LAUNCH A ROCKET』が先日火災で焼失した。Facebookでそれを知った瞬間脳内が真っ白になり、今年はいったいどうなってるんだろうと再びイヤな気持ちに襲われた。出火元は店外だったらしく、Fさんは友人と共に店内にいたため大切なモノだけはギリギリ搬出できたそうだが、在庫商品など多くは失われた様子。何より30年近く苦楽を共にした店舗を失ったことは想像すら難しい。そこまで使い続けた仕事場を失うというのは一体どういう気持ちなのだろうかと思い巡らすも、僕が知っているのはその中のほんの2~3年に過ぎず、自分のこととしてうまく置き換えることができない。


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即座に連絡をとも思ったが、そんな“ 確認電話 ”は恐らくウンザリするほどかかって来ているに違いないと思い、Facebookでの静観に留めた。この後、決して礼賛するわけではないがFBの持つ素晴らしい側面を垣間見る。先ず現場の検証に始まり、焼け跡の片付け、焼け残ったモノのサルベージ、そして徐々に店が立ち直って行く様が写真でレポートされ始めたのである。オンタイムで多数の人々との相互発信が図れるSNSは「今日の昼メシ◯◯食った」よりも本来はこうした時にこそ用られるべきで、こちらの過剰な心配の鎮静に大いに役に立ってくれた。

追っかけ見ていると発見した素晴らしいことがもうひとつ、それは「人」の動き。友人は元より常連客や仕事仲間などもいただろう、大勢の人が救出したレコードを乾かしたり、デニム生地を洗浄したりしている。彼と店を慕って来たと思しき人々が両者をアテンドしている様子がレポートされていた。

このとき初めて自分に置き換えることができた。もし僕ひとりだったらどうだろう。焼け跡に単独で対峙しなくてはならないなんて、キビシい。物理的なことも去ることながら精神的に大きくへこむに違いない。そんなときは多くの仲間が本当にありがたく感じるだろう。何もしなくてもいい、いてくれるだけいいと思うだろう。そして自分が今までして来たことを初めてここで振り返ることになるに違いない。

こんなに大勢の人がこの店の復旧に駆けつけているのは、Fさんがこれまでして来たこと、そして人柄による結果の何ものでもないはずだ。思い起こせば、知り合った当時から彼はいつも「楽しそう」な経営者だった。苦しいこともあっただろうが、それを微塵も見せず常に「楽し気」に店に立っていた。嫌々サラリーマンをしていた僕が倉敷に行けば必ず彼の店に寄ったのは、そういう“気”のお裾分けを貰いに行っていたように思う。写真の中で黙々と復旧作業をしていた人々も、恐らく僕と同じくその“気”を貰っていたに違いない。


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ひとりでも快適に暮らせるようなツールや設備が巷に溢れ、それらに埋没して日々を送るような昨今、僕たちはつい自分だけで生きているかのような錯覚に陥りがちだ。が、やはりそうではない。何かあった時に手を貸し心のバックアップをしてくれるのはやはり「人」そのものなのである。ああ〜よくTVでやってるアレねという声が聞こえて来そうだが、これは政府がメディアを使いまくって推奨している例の“漢字一文字”とはまったく別。

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僕は最近仕事の向こう側にある“何か”をよく考えるようになった。たとえば音楽や映画、演芸、演劇など工業製品とは違って実際に手で触れられないようなものを僕らは「ソフト」と呼んでおしまいにしているが、あれになぜ人は気持ちを奪われ時間を費やし大きな対価を支払うのか、という事由をはっきりさせられずにいる。人生を捧げてしまう人だっているというのに、誰もそこに言及できない。

もしかするとそれこそが“何か”で、自動車や宝石や時計や家電製品やマイホームよりも役に立つものであり、そこが欠落すれば生きてゆけないのではないかとさえ思うのだ。それが仕事の向こう側にはちょこんとあり、いつも燦然と輝いて人を魅了し、生きる活力を補給しているのではないだろうか。そしてそれはどんな仕事にも存在し得る。ただし、「楽しく働いた結果」にのみ。


お金が何でも解決してくれると信じ込んでいる僕たちは、それを断たれた厳しい状況に陥ることでもない限り、なかなかそれについて真剣に考えようとしない。今夏不幸が訪れてしまった友人たちも、この機会にこの“何か”について熟考してもらえれたらと思う。奇しくも彼らに起こった出来事が僕にも考える貴重な機会をくれたという複雑な思いのする夏だったが、仕事の向こう側にある“何か”について晩秋になった今日も考えている。


*

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僕のイラストをFさんが拡大トレースしたバナー。一部焼失したが丁寧に補修され蘇生した。サスガFさん。燃え落ちて尚、彼の闘志をマイルドに象徴していると描き手は勝手に思う。


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2014.02.03

凪ぎに動くものは無し

:


1月がスッと終わった。
既に年初に書いていたブログのアップを
すっかり失念、月をまたいでしまった。

昨年の話をすると何に笑われるのかは知らないが、毎年年末になるとどこかのお坊さんがおもてに出て大きな筆を振り上げ、よっこらせとその一年を象徴する漢字一文字をしたためて「今年の一字」と掲げるのを見る。13年は「輪」と書いていた。人々の調和が云々カンヌン〜とおっしゃっているのを見るにつけ、子どもたちの複雑な対立関係から起きたイザコザにわけ知り顔で入って来た先生が、キレイごとで諌めようとする小学校時代の学級会を思い出してしまった。

「欺」「嘘」「疑」… 暴走の「暴」だっていい。ひとかけらでも良識を持って見るなら、昨年も決してポジティブな語で締めくくることなどできない無彩色な1年ではなかったか。オリンピック招致に絡んでのことはすぐ解釈できたが、どうも「輪」には付和雷同というかトンチンカンというか、日和見的印象に共感できない。まぁこの国での仏教は古から常に「政(まつりごと)」に利用されて来たんだっけと思い出し(詳しくは手塚治虫の『ブッダ』ご参照を)お坊さんたるもの、そうそう本音の言えない立場なのかもと無理矢理納得した(でも瀬戸内寂聴さんのような人もいるわけだからなぁ)

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自身をいうならば旧年は「動」だった。昨夏ここでも記したように九州への転居で東京から1000km、ワーゲンキャンパーで2日間かけて移動した。そして取材でもざっくり九州をひと周りし、1000㎞弱を走った。瀬戸内の島へもクルマと共に渡った。それに伴っていろいろな人と出会い話した。「動く」ということは単に物理的に移動することではなく、それに付随し不特定多数と出会い話しインスパイアし合うということであって、“人々との出会い”という砂金をさらいに行くような作業にほかならない。それがなく風景だけを見て廻るというのなら「動く」ことにさほど意味はなかろう。

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手を動かす「動」もあった。九州のハウスも含め、都下に残す拠点用に借りたFLAT HOUSEのリノベートではとにかく働いた。特に施工後半から引っ越し完了、片付けが一段落するまでの7・8月は酷暑と疲労との戦いに終始。その上はっきりあるタイムリミットというプレッシャーが職業柄慣れているとはいえ作業中の精神状態に影響した。“空いてる時間に作業して好きな時に移ればOK”であればどんなに楽なことかと何度も思ったが、『暮しの手帖』の編集長/故・花森安治氏が残した「人は手を動かしている姿が一番美しい」という語をちょくちょく思い出しては自分を鼓舞した。今となってはあの2ヶ月が現在の僕の新しい骨や筋肉になった気がしている。


遠方への引っ越しは、会社員の異動などとは違って自らの選択でだったものの、英断したなんてこともなく自分にとって“いつもの転居”に過ぎなかった、ということは前にも書いた。「さすが実行に移すのが早いね」と何人もの知人から褒めてもらったのだが、むしろ遅かったと恥じている。2年越しの足踏みからやっとの実行だったことは改めて明記しておきたい。

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しかし二居生活の開始は自分史の中でも初であり、人生でひとつの節目になることは間違いなさそう。二カ所と言わず複数箇所で暮らすライフスタイルについては「デュアルライフ」やら「ノマドスタイル」やらと名付けられ、既にいろいろな人が本を出したり実践したりしているが、自分がするとなるとこれはまったく別のハナシだった。取説やテキストはない。自分の「想像」の具現を一から始めるのみ。この暮らしを始めて半年経ったが、正直未だに全体像がつかめずにいる。しかしそれは自分が面白がっている証拠でもある。

安易に予測がつくようなことはタカが知れており、すぐに見切れて飽きてしまう。今までしたこともない未知の出来事に身を投じることこそが生きる楽しみであり、それを乗り越えることで人は成長すると僕は考える。凪ぎには何も動かない。流れぬ水は腐る。

とにもかくにも第一義は“踏み出すこと”。「変化を望むならば自分がその最初の変化になれ」と説いたガンジーの言葉も自分なりに踏襲できただろうか。今年後半あたりにはまた雑感を整理して改めてこの暮らしについて語り直してみたいと考えている。

明日4日は二十四節気でいう立春。
いつもながら時間経過の体感速度は本当に速いのだけれど、新体験の連続のせいか旧年は決して短くない一年だった。今年も来年初に同様な感想を書けるような一年にしたい。


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2012.10.31

知らない誰かがしてくれるたくさんのこと


*


自分自身のことの大半は自分でしか解決できないものだ。
相談に来た友人にアドバイスしたところで、それを実行
するしないは本人次第。それ以上のことは他者にはどう
することもできないのである。

が一方で、いくら独りでやろうと思っても自力だけでは
解決できないことがあるのも確かだ。特にこんな世の中
では、つい大かたの事は自分一人で成して生きているの
だというような錯覚に陥りがちだが、本当は気がつかな
いところで知らない誰かが動いてくれていて、そのおか
げで日々の暮らしが成立している。


その「知らない誰かがしてくれたたくさんのこと」は
よく知らなくても暮らしてはいける。が、できるだけ
知った方がよいと昨年あたりから思うようになった。
人知れず黙々と続けて来てくれた行動には届く距離から
敬意を評したいし、そこに人手が足りないならば可能な
限り力を合流させたいとも思うからである。

かのボブ・マーレーが「俺から受け取ったそのバトンを
次はキミが誰かに渡せ」と歌ったように、してもらった
善行を次は自分が誰かにすべき、ということは誰しも疑
わないところだろう。


しかし「知らない誰かがしてくれたたくさんこと」の中
には、こちらが望まないマコトにありがたくないことも
含まれている。それは僕が眠っている時もご飯を食べて
いる時も映画を観ている時も仕事をしている時も、サボ
ることなく粛々と進めてくれていた。そしてある日突然
訪ねて来て、「これ、今日までの明細です。お支払いを
よろしく」と有無も言わせず請求書を手渡して来る。

それは一見みんなのためのように見えたのだが、実は
ごく少数の者たちに利益を集める類いのものだった。
「誰だキミは?こんなもの知らんぞ!」といっても
時すでに遅し。その誰かは

「今さらそれはないでしょう。
 今日まで恩恵を享受して来ましたよね?」

と恫喝して来る。

「何の事だ。享受なんて身に覚えはない。
 断固支払わないからな」

「残念ながらすでに法律で決まっていましてね。
 お支払い頂かないわけにはいかんのです」

「いつそんな法律が決まった?聞いてないぞ」

「もう随分前ですよ。あなたがお子さんの時分ですかね」

「それじゃ反対のしようがないじゃないか」

「反意を表す機会はその後もたくさんありました。
 何人かは抗議して来ましたし。あなたが知らないだけです」

そしてこう付け加えた。

「今日まで何も言って来なかったじゃないですか。この
社会で黙っていることは同意したのと同じなんですよ」
 

言葉を失う僕に、今後もお支払い願います〜と言い
残し半笑いで去って行った。「時の経過」はすでに
彼らの良い方に作用していた。


*


今は亡きジョー・ストラマーがライブの最中にオーディエンス
に向かって言った「タバコも酒もドラッグも止めて、その金を
貯めろ。そしてこんな所に来ないで投票に行け」という言葉を
思い出した。当時は詭弁にも聴こえたが、彼には確信があって
そう言っていたのだと、今になってみて思う。


「知らない誰かがしてくれるたくさんのこと」
それがどこの誰でいったいどんなことなのか、
知る努力が必要だ。

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2012.08.28

肉筆のススメ


*

定期的にイラストを提供している某月刊誌出版社の名物社長が
対談記事の最後に肉筆で書いた一語を載せていたのを見た。
率直に「わ、ヘタクソ !! 」と思ってしまった。
論客&武闘派編集者として名を馳せている御仁だが、
書く文字はなんというかもう中学生並み。
いや、小学生…(失礼)

ゲスト相手にスルドく持論を熱弁していた氏だったが、
60代の大先輩に申し上げるのも僭越ながらシメでドン引き。
もちろん達筆でなくても「味のある字」というのもあるのだが、
あれはちょっとその枠にも入れてあげられないレベルだった。
企画としては完全に逆効果、そこで別のオチがついた感アリ。


会社員時代に「このトシで書く字がひどいと人格を
疑われるんだよな…」と盛んに嘆く上司がいたことを思い出した。まぁ人格とまではいわないまでも、なんというのか、
この人って本質は幼稚で浅いんじゃないの???
という猜疑心が自然と頭をもたげて来てしまうのですね。
その人を「尊敬」でもしていた日にはもう、その二文字が
顔写真とともにガラガラと音を立てて崩れて落ちてしまう。

なでしこジャパンの監督がインタビューで、日々気をつけている
ことに「朝キチンと鼻毛を切る」といっていたが、まさにそこ。
大勢の人間を引っ張る社会的地位の高い人間がそんな字を書く
というのは、ヘタをすると統率力にも拘って来る。
人の上に立つ人間は特に自分の素が見える部分には
細心の注意を払うべきだろう。

絵の場合、ウマいヘタは「才能の有無」で大目に見て
もらえるが文字はそうもいかない。老若男女がそれなりに
書けるものであり、いわば無差別級試合。
絵のようなテクニックとの拘わりも低い。
何よりその人の本質が如実に出て、即座にどんな「人」
かが判別できてしまう。日常の印象が一気に地に落ちる
ことだってあり得る。書く文字には結構なイメージへの
破壊力があるのだ。
上司が言いたかったのはそういうことだろうと思う。


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しかし彼だけではない。
最近の日本人は総じて字がヘタクソではなかろうか。
著名人や有識者がTV番組でポンと出したボードの
文字にでさえ、あんぐりとクチが開いてしまうときがある。
ヘタというよりももう幼児の絵のような体だったりする。

逆に、TVの鑑定番組を見ているとしばしば目にする昔の作家や
政治家らが知人に宛てた書簡なんかは、ほとんどが上手い。
しかも20〜30代の時に書かれたものだったりする。
たかだか百年くらいの経年で、この落差は何なんだと思う。

実は、文字は「書く」というより「描く」なのだ。
こちらが膨らんだらこちらはへこませるといったバランスを
見る力や、この太さは最後の延ばす部分に関わって来る、
というような大局的なものの見方が要求される。
要は「デザイン力」であり「観察力」であり
「全体を包括する力」なのだ。
と、ハードルをあげておいてなんだが、実はそれほど
難しいものでもなんでもなく、通常の生活センスがあれば
書けるはず。そこに学歴や学力の高低はほとんど関与しない。
小学校しか出ていないというようなオバアちゃんが
スゴく達筆だったりするのだから。


*

先日、A新聞社発刊の育児雑誌にイラストを寄稿した。
テーマは子どものノートのとり方について。
「書きとり」という語にとても懐かしさを覚えながら
本当に今のオトナは手で書くことを捨ててしまったと感じた。
今やスーパーの売り場POPでさえ打文字出力の時代。
年賀状なんかすべてPC印刷。まるでDMだ。
このハガキのどこに送り手の心情が表されているのか
サッパリ判らず何枚もらってもまったく心が動かない。
子どもの頃はあんなに熱心に手を動かしていたというのに
いったいみんなどうしてしまったのだろう???


職業柄、筆記具を握る頻度は標準的な同年代より高いと思う。
絵だけでなくロゴや描き文字も手で描くし、予定や覚え書き、
アイデアもなるべく紙に書くようにしている。
しかし斯くいう僕も、文章を書くときだけはやはり
PCのキーを叩いている。もちろんこのブログもそう。
各種申し込みの類いも今やすべてキー入力だ。
しかし、様々な手続きが簡略化されて行くのがIT社会の
流れであっても書く行為だけはそこに乗っかり過ぎては
いけないと、昨今は痛感する。


昔の作家や政治家は特別字が上手かったということではなく、
肉筆が当たり前だった社会の中である年齢まで生きれば
「達筆」は必然だったのではないだろうか。極端にいうなら
文盲の人以外は一定レベルのうまさで書けたのではないか
と思う。少なくとも現代人から見れば
全員自分よりも達筆だと思えるくらいは。

有史以来、ヒトがえんぴつや筆を紙の上に載せて走らせる行為を
永年続けて来たからには、脳と身体の間に何らかの相関関係が
生まれてしまっているはずだ。それを全て鍵盤叩きに代用させ、
ここで急に止めてしまうことをどうも善く思えない。
臨床学的なこともそうだが、何より恥ずかしいではないか
何十年も生きておいて満足に文字も書けないなんて。

内容の伝達以外にも、強い表現使命が肉筆文字にはある。
なのに、あまりに僕らはそれをないがしろにし過ぎていないか。
書かなくなればどんどんヘタクソになってゆく。
肉筆文字もそういう性格のものだろう。
広告の裏でも何でもいい。子どもの頃のように貪欲に
文字を書くことを、いま一度再開しようじゃないか
ココロあたりのあるご同輩。


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2012.02.27

冬の咳ばらい


*

雪の降る街を
雪の降る街を


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思い出だけが通り過ぎてゆく
雪の降る街を


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遠い国から落ちて来る
この想い出をこの想い出を

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いつの日かつつまん
温かき幸せのほほえみ


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極寒キッチンで食事の支度をしていたら
ラジオから手嶌葵の歌う『雪の降る街を』が流れて来た。

にしてもなんて寒さが匂って来る歌なんだろう。
重たいイントロから後半メジャーに転調はするものの
徹頭徹尾くらーい曲。刹那に鬱になりそうだ。


この曲が書かれた当時は
今よりももっと冬が寒かっただろうし
街も道路もうす暗かったのだろう。
だからこんなトーンの歌が生まれた。
そういう事情もこの曲からは何となく伺い知れる。
歌とは少なからず人のココロをえぐるべきだ。

今はこんな曲を書ける人はいない。
こんな曲を書かされてしまうような場所は都市にはないから
心象風景を歌詞に反射させて匂いや温度まで感じさせて
くれるようなマチエールの深い「歌」は生まれない。


*


低温ならば当時の環境にも負けないほどの寒さの
我がハウスだが、雪が降るとこんな表情を見せる。
「寒い家はイヤ」の意見には異論はないけれど
雰囲気も情緒もない家はもっとイヤ。


今のプロダクトは家に限らずどれも
利便性やコストのことばかりで
人の感情に訴求するものを持っていない。

組み立て家具や100円雑貨やファストファッションは
確かに用途によってはそれで賄えるものもあろう。
が、囲まれて暮らすようなものじゃない。
「安かった」とニコニコしていれば
その人もそれなりの「程度」になってゆく。
そういうことも知っておいた方がいい。


昨日、春まであと少しですと天気予報。
冬の長逗留にヘキエキするような毎日だが
ここで迎える3回目の冬、この寒さにはもうすっかり慣れた。

昔は大嫌いだった冬が、最近は行ってしまうことにも
ちょっとだけ寂しさを憶えるようになったのは
平屋に住むようになったことと無縁ではないような気がしている。


*

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2012.02.14

Birthday来たりなば 春遠からじ


*

みなさん、いろいろお言葉やら贈り物やらを
本当にありがとうございます。
毎年こうやって自分の番になると日頃みなさんには
何もしていない自らの怠慢具合を恥ずかしく思う次第です。

去年は、気がつけば壁を一点見つめしてしまっていたような
あるいはオンラインで電力屋一味を糾弾してばかりいたような
まあ非生産的な事柄に足を絡めとられた惨憺たる一年でしたが、
今年の節分あたりから不思議とヤル気に満ち始めています。

とはいえ昨年のブログでも言い及んだように戦いはやめません。
この国に住むからには、間違えた事をする資本家らを無闇に恐れ
真実を言い淀んだり、見て見ぬフリをし続けることは
金輪際もうやめようと決めたからです。

その上で、失速してしまった自らのミッションの遂行を
元のスピードに戻すことに尽力する一年にと思っています。
アティテュードはあくまでクールに、行動は熱く、です。
憶えていたら程度で結構ですので軽ーくご期待ください。

*


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今度イラストを描くことになった
自費出版本『World Youth Products』の
若き編集者たちからのプレゼント。

日曜日の打ち合わせ時に頂いたが
手を付けることなく帰ってしまったので
写真だけでも。ありがとう!


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2011.02.19

感謝(驚)


って曲ありましたね。
フィッシュマンズの『ORANGE』というアルバムに。
友人が「なんだかタイトルが中国語みたいだな」
と笑っていたのを憶えているけど

「夏休みが終わったみたいな顔した僕をただただキミは見てた」

という詩が好きだった。これを聴いていた頃、人生がまた
静かにシフトチェンジをし始めたなんて事も思い出される。


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そんなタイトルに沿うようなお話の前にちょっとお知らせ。
本日19日(土)有隣堂アトレ目黒店にて
僭越ながらのサイン会を行います。

またまた土壇場告知で恐縮ですが
たまたまお近くにいらっしゃるような
ことがあるお客サマはお立ち寄りください。
14時〜16時の2時間書店に居ますので。

http://www.yurindo.co.jp/storeguide/東京都/アトレ目黒店/


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バレンタインデーが誕生日だと
覚えていてもらいやすいこともあって
皆さんいろいろとお気を遣ってくださる。
メールをはじめ義理○○○に
(チョコとかクッキーとか)丁寧な方は
さらに誕生祝いのカードを添えてくださる。

しかし、ジッサイのお祝いはどうかと言えば
そっとしておきますね党・遠隔傍観派の
優しい気遣いをなさる方々が圧倒的。
そんなヤサシイ方々に囲まれてるもので
誕生日は独りになることが結構多い。

きっとどなたかと居るんでしょう、
という事なのでしょうが、居ない時は
孤立無援のシベリア越冬的由々しき事態に。

思えば20代の頃からそんな
ロンサム・バースデーがちょくちょくあった。
まぁニンゲン、他人の誕生日にいちいち
構ってられるかつーこともあるでしょう。
ワカルワカル、俺も結構忘れるもん。

そんな話を先日狭山市にある『ジョンソン・カフェ』
(FLAT HOUSE style02参照)のオーナー 小金丸氏に
電話でちらりと話したら、低いイイ声で
「じゃあウチの店で祝いましょうよ」という
思いがけないお申し出をいただく。

そう、優しさとはこうやって
「踏み入って申請」してくれるものですぞ皆の衆。
そっとしておくだけが優しさじゃありません。
(とはいえこっちがアピールすることも重要なんですね )


当日、仕事を片付けて鼻歌まじりで準備が終わると、
すっかり夕方に。その上クルマをガレージから出す頃
には冷たい雨が降ってきた。
渋滞の関所である所沢あたりで予想通りのノロノロ走行。
我が家から狭山に向う最短距離はどう迂回しても
この所沢を経由するルートをしかない。

抜ける頃にはすっかり日も落ち雨は大粒のボタン雪に。
真っ暗な空から顔一点にめがけて雪が飛び込んでくる中
ワイパーの動きもココロなしか重たく感じられ出した。
気持ちが焦る。


どうにかこうにか狭山に到着した頃にはもう19時。
周囲は一面銀世界だった。
すぐ裏手が入間飛行場の滑走路の森で、
それでなくてもバタ臭いエリアなのに
雪景色でさらに「外国」に。

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降車して靴が雪にめり込むのを知る。「こりゃ今夜はもう戻れないな。こっちにビバークだ…」
と図々しくも勝手に一泊化を決定。直後「ということは酒が飲める!」と開き直る。

当日はカフェ休業日のため貸切状態。3月にここで行われるトークライブの打ち合わせも兼ねていたので、他には呼んでいなかった様子。優しき小金丸氏&美しき奥方3人で粛々とバースデーパーティ開催。


しかしこの少人数制がよかった。
まるで豪雪に閉じ込められた山荘で救援を
待っているような非日常的なシチュエーション。
薪ストーブの火のにおいと薄暗い店内。
うっすらかかるオーナー選曲の
昭和40年代フォーク&歌謡曲。
なんとロマンチックな夜なんでしょう。
(ビフォーアフター風に)

こんな雪にも拘らず、来られないと思われていた
唯一ゲストのYさんがひとりタクシーで
駆けつけてくれ「幽閉パーティ」にご参戦。
若いのに良い感性をお持ちの方で、話も静かに弾み
さらに「閉じ込められた同胞感」に拍車がかる。

すごく「昔」に来てしまったような心地良さが、
東京レトロ野郎の僕にめずらしく深夜2時まで
グラスを持たせた。
昭和のウイスキーのCMだねこのカンジ。

うーん……「静けさ」っていい。
一番のご馳走かも。
思いがけず、といっては失礼だけれど
最高の一夜を過ごさせていただいた。

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お世辞抜きでうまい手料理と酒
ストロベリーロールケーキで祝杯。
結局一泊&朝食までお世話になる始末。
♪ぬーくーもり届きました~
&おーせ−わーになりました♪

右下は先日閉店後お疲れのところ
おいでくださった『DECO DEMODE』の
スタッフの方々から「早目のバースデーですが」
の前置きと共に頂いた
福生『ジャルダン』のケーキ。
フルーツがたっぷりでこれまたおいしかったー。

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皆さん、本当にどうもありがとう。こんなふうにいろいろして頂くと人の誕生日もキチンと憶えていなくてはと猛省致しますですはい。
(皆様その節はワタクシ目にもご申告を+来年もよろしくお願い致します)








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2010.12.31

結局、 ヒト


この家に越して来る際、占いをする友人が
「人の集まる家になるようだよ」と見てくれたが、
そりゃあこれだけのだだっ広い家なんだ、集まってくれなくては
困ると、今年はまた昨年を上回る方々においでいただいた。
(因に友人が占ったのは家を見せる以前だから強ち外れてはいない)

にしてもう大晦日。10~12月は特に早かった~。
特に11月。「あっという間に過ぎる月」の中の先鋒かもしれない。
ハーベストムーンとクリスマスに挟まれたちょっと中途半端な月。


その11月は出不精な僕もフットワーク軽く結構人に会いに出向いた。
夏が暑く永かった所為で、ほとんど居住エリアから出ることが
なかった分、人に会いに出たいという気持ちが
蓄積されていたのかもしれませぬ。


【イラストレーターの集い】


写真家やデザイナーと違って徒弟制の弱いワレワレの職種は
横のつながりが著しく乏しい。そのため情報網も希薄で同業者が
どんな気持ちでどんなふうに生きているかが中々つかめない。

ということで絵で生計を立てている数少ない友人に声をかけ、
それぞれにまた知り合いの同業者を呼んでもらった。
総勢13人。お互いがほぼ初見という面白い集まりになり、
作品の見せ合いから仕事のグチ、
男女のハナシまでバラエティに富んだ会話が展開された。


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我々のレセプターが凸だとしたら凹にあたるのはデザイナーだろう。仕事上話すクリエーターといえば彼らが圧倒的に多いわが職種、凸同志で話すということはまた脳ミソの違う部分を使うということを発見した。それにしてもこの業界、女性含有率圧倒的に高し!(喜)


【チーム・トラベラーズご一行来訪】


チーム・トラベラーズとはデザインフィル社が展開する
システムノート『トラベラーズ・ノート』制作チームの
みなさんのこと。以前何度か広告を手掛けさせて頂いて
以来交流が続いているが、そう頻繁にお会いするわけでも
ないのに、付かず離れずで定期的に遊びに来てくださる。


今回は開発者の飯島さんを始め、営業や
デザイン部門のみなさん総勢4名サマご来訪。
彼らは大別すれば「堅気」に分類されるにも拘らず
なんだかクリエーターのニオイがする方々で、
さりとてトンガリ過ぎのハナイキも吐かず、
一緒にいてジツに居心地が良い。
何より物事に対するセンスの合致を感ずるのだ。

動物で言えばカモノハシに近いような(笑)
カタギとフリーの中点を取ったカンジの雰囲気を
お持ちのご一行。今回もたくさんのオリジナル
お土産をたずさえてのご来訪、終電ギリギリまで
お付き合いくださり「今後どんなことを
したいか話」にたくさんの花が咲いたが、
こういう方々には、帰られた後が寂しくなるのだ。


↓■オリジナルの日本手ぬぐいの出来が最高!
  TNマークのボトルはファンの方が作った梅酒。
  美味しかった~

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【ご近所さんと昼食会】


ほぼ一日家に居ることの多いワタクシ、挨拶なんぞを交わしている内にごく自然とご近所の奥さんらと茶飲み友達となってしまい、お茶は元よりランチを食べたりすることもしばしば。この日はM美大卒の人妻(なんとコワク的な響きなのだろう・笑)Gさんに、月曜休みの友人K氏も加わり3人で各自持ち寄りの昼食会。

Gさん以外は昼間からBEER。14時を回った辺りで「あ、そろそろ子供を幼稚園に向かいに行かなきゃ」で散会するという、オトコ同士では先ず有り得ないお開きの仕方。メニューはミートソースとサラダ&デザート、そしてたのしいおしゃべりでございました。

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【FLAT HOUSE style 編集会議】


12月末発売の自費出版本第2弾の編集会議は
いつもの3名で喧々諤々。デザイナーの大杉氏は
万年寝不足状態で、当日もほぼ不眠ワーキングのあとに参加。
編集の浅見氏も5冊もの自主企画を出版社に通し全てが仕事化、
超過密スケジュールの中ジャグリング状態で参加。


にもかかわらずこっちがふる本筋からハズれた音楽の話題や
ウォーミングアップ的シモネタにもがんがん援護射撃を撃ってくれる。
本作りはさに非ず、こういうハズれたところから
面白いものが生まれるもの。ノリが全てではないが
工場で作るものとは大きく違うのがそんなところだろう。
本を編むとはとてつもなく大変で、面白い作業である。


■わが精鋭の編集部。穏やかで優しい気だての男どもだが仕事には鬼↓

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【『My Freedamn!×BEAMES展』】 


元ブルース・インターアクションズのライター、写真家の田中凛太郎氏がライフワークとしている古着クロニクル豪華本『My Freedamn!』とBEAMESのコラボレイト企画展。氏がアメリカから本格的に帰国、その記念すべき第一弾といった趣のエキシビジョンの初日へ赴く。

凛太郎氏は昨年自費出版を決意する際、印刷や流通方法からメンタリティの話まで随分と細かなアドバイスをくれた「自前流通出版」の大先輩である。『My Freedamn!』も大手取次店を通さずに流通させている本だが、その販売部数は驚異的。まごうこと無きカリスマティックな作家である。

会場はBEAMES新宿店の6F『B-ギャラリー』。当日パーティもあるということで駆けつけた知人やファンですぐにいっぱいに。中には入り辛い状況だったため、会場でお会いした顔見知りの皆さんと場外で世間話。その後二次会へお誘いを受け、コアなメンバーの中に加えていただいた。


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コラボ相手がアパレルブランドということもあって服飾関係の
方々がほとんどだったが、非常に居心地の良いアウェー感。
久しぶりに異業種との(しかも好きな)マッチメイクに日常とは
違う思考回路が発動したカンジだった。


しかしながら、気づけば平屋や自費出版本の話題を相変わらず
してしまっている自分に少々自己嫌悪。とはいえ散会後は
長距離を走り終えたような爽快な疲労が残る非常に良い会合、
有意義な場に参加させていただいた。


帰りしな「携帯がない!」と路上でうろたえるホロ酔いの
凛太郎氏に、ご夫人が軽ーく喝を入れるという微笑ましい
場面に遭遇できたのはおそらく当夜のボーナス・トラック。
ええ、電話は彼のバッグの奥から出て来ましたとも(笑)


【狭山ジョンソンカフェ『米軍ハウス友の会』】

弊誌第2弾の特集でご紹介させていただく小金丸氏の
経営する店『狭山ジョンソンカフェINARIYAMA』に
周辺の米軍ハウスに住む方々と一緒に呑むという一夜。


普段はガラガラなんスよとのたまう店主を尻目に
当夜はワレワレ外のお客さんで大賑わい。
ヒマだなんて全くのデタラメと判明(笑)


複数のハウス住人と呑むなんてことはめったに無いことだが、
住んでいる家屋が同種ということで一夜の場が持つなんて
この企画は定期的に行いたいものと実感した。

だって家のパーツがどれだけ古いとか、どこそこのハウスが
壊されただの次はあそこのハウスに住みたいなんてハナシ、
できないですよフツーでは。

当夜は「アトリエ元」の本橋氏ハウスに一泊させて頂いたのだが
帰宅までの徒歩は稲荷山公園=ハイドパーク脇を抜け、ハウスを
眺めながらの道すがら、空気も澄んでいてジツに気持ち良かった。


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まだまだ書き足りないほどの集いがあったけれど、結局どんな娯楽よりも「人と会い、話す」ということが一番アドレナリンが出る行為&至福の時間と再認識。そして現在住むこの家がそれをサポートしてくれているということは紛れもない事実ということも…

年明け1月も人と会う機会がたくさん待っていそうな気配、来年も更に大勢の方々と可能な限り相見える所存です。本当に皆さん、楽しく有意義な時間をありがとうございました。あなた方と会って話すことこそが私のエコ発電です。


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我がFLAT HOUSE styleスタッフ/Shiny大杉氏に
Twitterを強くススメられ、結局やる羽目に。

なーんかひとり愚かにつぶやいては
「あ、ツイート返ってるかな」とちょくちょく見てしまう自分。
で、返ってるのは我がスタッフからのみ(笑)
これって面白いのか??え!?

やっぱりズラズラと書き並べる方が合ってるなあオレ。
とつぶやいたりしています。

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