*
九州にいると、東京ではいつでも会えるからとどんどん疎遠になってしまっていたような友人・親類と逆に会えたりする。先日も東京から旧友であるミュージシャンの《chocolat&akito》の片寄夫妻が遊びに来てくれた。新譜『CHOCOLA&AKITO MEETS THE MATTSON 2』でコラボレーションしたカリフォルニアのサーフ・インスト・デュオ《Mattoson2》のマトソン兄弟(一卵性双生児!)とのプロモーションツアーで来福の折に4人で寄ってくれたという運び。
片寄明人くんと知り合ったのは80年代の真ん中。僕がまだバンドをやっていた頃、ライブハウス『新宿JAM』の月イチイベント《March Of The Mods》に出演した夜に対バンだったコレクターズの前身であるThe Bikeを観に来た彼が、当時よくカバーしていたElvis Costelloの話をしに楽屋へやって来たのが最初だったと思う。
ひょろっとした長身に栗色のスパイキーヘア、ジャストコンシャスでこざっぱりした三つボタンスーツに黄色っぽいセルフレイムの眼鏡を合わせ、ニカッと笑った笑顔が印象的な童顔の少年だった。「僕もCostello大好きなんですよ!」といって彼はその後もちょくちょくライブに足を運んでくれ、その都度楽屋に来てはコレクションのレア盤(大抵7インチ)なんぞを持参。こちらが「スゴいなあ〜」「持ってないなあ〜」と悔しそうにすると屈託なく破顔一笑していたのを覚えている。彼はまだ十代だったはず。
数年後、仕事でいた岡山から帰省した際に行った下北沢のバーでばったり会った。メッシュキャップに革ジャンを羽織り足下はエンジニアブーツ、レザーのウォレットがデニムのヒップポケットからはみ出していた。随分印象が変わっていたがあの「ニカッ」は相変わらず。今にして思えばそのとき「僕、バンドを始めたんですよ」と笑顔で話してくれたのが、今日まで続く彼のキャリアを指し示す第一声だったということになる。
その後、メキメキと頭角を現し80年代後半には《Rotten Hats》を結成。よく僕の企画のライブにも出てくれたが、もうやっていることのレベルが段違い、メンバーもよくここまで手練を集めたなあと感心する面々だった(全員現在もミュージシャンとして活躍していることからも判る)。ほどなくしてメジャーレーベルにスッと連れて行かれてしまった。屈託のない我郎だったはずが、見る見るうちに成長しすーっと追い抜かれてしまったという感だったが、今もキチンと音楽活動を続けている姿を見ればそれも当然だったのだと再認識できる。やはり天賦の才があったというか、情熱の量が違ったのだなあと。
昼過ぎに、奥さまでありユニットのパートナーであるショコラちゃん、そしてマトソン兄弟と共に我が家に到着。先ずは5人で自転車でポタリングし町内を案内。地元の小さなスーパーでは大きくて安価な九州野菜に目を見張り、鮮魚売り場ではめずらしい尾頭付きを持ってはしゃいでみたりと、予想以上に楽しんでいた。特にM兄弟は他の地でも行くことのなかった地方のローカルマーケットが予想だにせず面白かったと見え「Wow〜!」「Cool!」「Amazing!」と終始オドロキ笑顔。「そんなに??」と訊くと「Sure!」と返って来た。
次は僕が関わるゲストハウスで一服し、すぐ裏の浜辺に出てフォトセッション。その後6人乗りユーロバンに乗っけての島へドライブ、高台から海が臨める神社に行くとマトソン兄弟は「Beautiful!」を連発。カリフォルニアの美しい海辺から来た彼らにも博多の海や森が荘厳に映った様子、なぜかこちらも自分が褒められたような気分になり嬉しくなった。
本来ならリーズナブルで美味しい知人の食堂でシメるコースなのだが、当夜がライブだったため天神に出やすい駅まで送り、晩に再会して観演させてもらうということに。タウン誌『シティ情報Fukuoka』のエンタメ担当者Sさんと入場、会場は小ぶりながら二階席もある劇場スタイルの造りで、グッドサイズの私感。鑑賞する側にとっては演者の息づかいも聴こえるようなこのくらいがベスト。ステージに上がる前M兄弟にエントランスでバッタリ、僕を見つけるなり「ツアーコンダクター!」と握手を求めて来た(笑)すでに後ろまで埋まっていたが、ステージ横のモニターまで進み出ることに。
新譜を聴いていて、一体どんなふうにステージで演るのだろうと心配したが、それも及ばずとても上手く再現していた。そりゃあプロだからねと思い直すが、それでもあの手の曲をこの誤摩化しの効かないキャパでじっくり観せるのは結構大変なはずと改めて感心。ここ何年かの間、ライブを観ていると20分を待たずに飽きてしまう悪い癖も、いろいろなタイプの曲で構成する彼らのステージでは発症しなかった。それに加え夫婦漫才張りのMCが本気で面白い。これは実際に観てみないと判らないので文字に起こしません(笑)
また、Mattoson2が自らのナンバーを二人で演奏するという間もあり、個人的に以前からファンだった僕にとってはまた楽しめる時間だった。演奏中もステージ端にいたこちらにたびたびアイコンタクト、日中のアテンドが相当ウケた様子(笑)
伴侶と共に表現者として全国を巡り各地で温かく迎えられ、その地その地の景色や食べ物を愉しめるなんていう職業はそう多くはない。若気の至りで好きになったポップミュージックを生涯の生業にするなんて、年齢が高くなってゆくにつれ肉体的にも精神的にも辛くなるものだろうと思っていたけれど、彼らを見る限り必ずしもそうとは言えないとしみじみ感じた。苦労も多々あろうが総合的に見ればやはり羨ましい職業である。
それにしても、あの時楽屋にレコードを持って来た少年が海外ミュージシャンにファンがいるような音楽家になり、九州に移り住んだ僕の家へツアーついでに遊びにやって来る日が来るなんていったいあの日の誰が想像しただろうか。縁は異なものというが、未来もまた異な縁を連れて来るものだ。彼が歌っている姿を間近で観て、そんなことが頭を巡ったエスペシャリティな夜であった。
(ライブ写真提供 / 根石桜)
*
Recent Comments