社会・時事

2017.03.11

3月11日という一日

:

3月11日から15日にかけての数日間には
やはり特別な念がある。

もちろん喜ばしいはずもなく
ああ、今年もまた律儀にも来るのか、という感じだ。
この感覚はおそらく一生消えないのだろう。
戦争を経験した人たちが8月15日を忘れられないのと同様に。

昨年は震災からちょうど5年という節目?だったので
自分が被災した時のことを時系列で記しておこうと思い
少しずつ書いていたのだけど、
すっかり1年経ち6年目になってしまった。
また1年経ってしまわないよう
ここでアップしておこうと思う。

******************


思い起こしてみる。
あの日、2011年3月11日は
神奈川県大和市にある米軍ハウスを仲間と
シェアして始めたFLAT HOUSE cafeにいた。
オープンして2ヶ月、某カフェチェーンの社長が
店が見てみたいと来店、ついでに僕とも話したいというので
昼前から当時住んでいた府中市からクルマで訪れていた。

カフェ奥の一室を店舗にすべく一緒にシェアしていた
イラストレーターの友人Aさんと、社長を連れて来た
Tさんの4人で個室で昼食をとりながら歓談した。
ご年配のこの社長、ジェントルな外見とは裏腹に
かなりお話し好きな御仁。
自身の会社の四方山話から始まって
今後の商売展開についてなど一瀉千里に話した。

こんなふうに米軍ハウスの店舗も出したいやら
ガソリンスタンドの空き物件をカフェにしたいやら
これからは郊外店舗の時代ですと某チェーン店を例に
挙げて解説したりもし、気がつけば以下3名は
完全なオーディエンスの体。

そのあたりまでは良かったのだが、
だんだん話題はあらぬ方向へと脱線。
知り合いに御神輿を作っている職人が居るんですが
面白い人でね(どんなふうに面白いかの説明はナシ)
ひとつ2000万なんですがこれが売れないそうで
アラタさん売ってみませんか、10%差し上げますよ、
などとまったく今回の訪店に関係ない話にまで及び始めた。


だんだん内容がアタマに入らなくなって来たのに
真正面に座られてしまっているため完全ロックオン。
感想を述べて流れを変えようにも「ええ」の一言で
片付けられ、再び自分のことだけを延々話し続ける。
まったく会話が成立せず、申し訳ないが
そろそろ逃げ出したくなって来ていた。

:

《揺れが来た!》

突然、社長の顔と背後の壁や天井が歪み始めた。
まるで船上にいるかのような気分になり
長時間の話に三半規管がおかしくなったのかと疑った。
ペンダントライトの大きな振幅と女性たちの悲鳴が
こちらのせいではないことを教えてくれた。

AさんTさんがテーブル下に潜り込み始めたが
社長は身体を揺らしながらまだモノローグを続けている。
そんな彼を尻目に部屋を飛び出て歪んで開かなくなる前にと
屋内のドアを開けて廻った。

恐る恐る外に出ると、大きく傾ぐ電柱にたなびく電線が眼に入った。
近所の奥さんらしき数人が玄関先にボーッと立ち尽くして
それを見ていた。出て来たこちらに気付くとひとりが
揺れる電柱をだまって指差した。

それに相づちを打ちつつそっと立ってみると、揺れている。
「すごいね!外に出ても揺れを感じるよ」
といいながら戻ると、店内はまだ船のよう。
お客さんを含めスタッフ全員心配顔。
着席する気になれず立っていると少し酔いを感じて来た。
3人の様子が気になり個室に戻ると、地震のようですね、と
ようやく社長がオンタイムな話題を口にしてくれた。

店内にはテレビもラジオも無かったので
情報がまったく入らない。相当大きい地震のようだが
震源はどこなんだろうと話していると、だれのも
繋がらなかったのに僕の携帯電話だけが突如鳴り出した。

あとで判ったことだが、キャリアによってかかり方に
差があったようで、僕のだけが繋がったらしい。
その日は本業の出勤で会社にいたMさんからで
震源は東北沖だということや
都心で何が起こっているのか教えてくれた。
日頃スローモーに話す彼女がかなり慌てている。


その時はまだ津波の話はなかったように思う。
が、神奈川でこの揺れなのだから震源地ではスゴい被害が
あったのではという予測はついた。これはこれから大変な時間を
過ごさなくてはならなくなるかもしれないなと予感した。

クルマで来ていた社長は特に慌てるでもなく
Tさんを乗せて自宅のある都心方面へ立ち去った。
それを見届け、現金を下ろしておこうとサイフを取るや
最寄り駅の小田急線の中央林間駅まで自転車を走らせた。

電車が停まっているだろうことはすぐ判った。
到着時はぽつりぽつりとしか居なかった老若男女が
5分も経たないうちに改札口付近にわっと溢れ返ったからだ。
不思議なのは誰ひとりとして歩き出そうとせず
改札ホールに佇んでひたすら携帯電話をいじっていたこと。
全員がフラッシュモブでもしているかのような異様な光景だった。

:


《大災害の予感》

CDから現金を多めに引き出し、スーパーに寄って食料品を
しこたま買った。多分、一両日中にお金も引き出せなくなり
店から品物が消えるだろうと予感したからだ。

が、その時はまだ客たちに何の切迫感もなく、
普段通りに買い物に来た感じののんびりとした空気だった。
自分だけがあたふたとカゴに食品を詰めているということに
激しく違和感を覚えたことを憶えている。

首都圏の交通がほぼ全域で麻痺していた事がわかったため、
それでなくても混む国道16号線のことを考えて
帰宅は深夜まで待つことにした。
既に帰宅を諦めていた台東区に住むAさんを
我が家のゲストルームに泊めることにして22時過ぎに出発。

カフェを出て1分もしない内に渋滞に捕まる。
到底詰まるはずのない道に真っ赤なテールランプの
行列が見えなくなるまで延びている。
ここからこんな調子じゃ本番勝負の
16号線はどんなことになっているやら。

正攻法での帰宅は諦めてカーナビの画面を最大限に拡大し
目を凝らしながらあみだくじをやるように住宅街の小路を
くねくねと低速度で北上してゆく作戦に方針転換。
界隈の地理に明るそうなハンドルさばきの
タクシーが僕らの前をしばらく走った。

16号線を横切って町田街道に入ると
ぐっと空いて走り易くなった。
が、町田市から八王子市に入るあたりで
おかしな光景が目に飛び込んで来た。
店内が真っ暗なセブン・イレブンだ。

気付くと街灯、信号さえも消えている。
街中を走っているはずなのに、山道か森の中を
走っているかのようだった。
「そうか、大規模停電してるんだ!」
これが渋滞の大きな原因なのだなとその時は思った。

本当はアクセル全開で走り抜けて行きたかったが
再び速度を落として走行した。
少しずつ眼が暗さに慣れて来て
交差点の手前に来ていることが判ると、
いきなり笛の音が耳に飛び込んで来た。

すると暗闇の中で懸命に手を
上げ下げする人のシルエットを発見。
ヘッドライトが手旗で必死に交通整理をしている
警察官の姿を浮かび上がらせた。
おそらく人員が不足していたのだろう、
ひとりだけで公務を執行していた記憶。

クルマは大人しく従っていて何事もないように
見えたが、24時間営業のコンビニの閉店と
真っ暗闇にうごめくひとりの警官の影で
充分非常事態の様相だった。

:

《予測を超えた現実》

家に到着したときはすっかり日をまたいで
午前1時を廻っていた。いつもの倍以上の時間が
かかっての帰宅だったが、それでも相当運が良かった
ということがMさんとの電話で判明。
昼間に出た社長は晴海の自宅に帰るまで気の毒にも
8時間も高速道路に乗っけられたままだったそうだ。

先ず気分を落ち着かせるために湯を沸かしお茶の準備をした。
昼食から何も口にしていなかったので
帰り道すがら近隣のコンビニで買っておいた軽食を拡げた。

お茶を入れ、食べ物を少し口に入れながら
いったい世の中はどうなっているんだとテレビを点けた。

阿鼻叫喚。
おそらく昼間から繰り返し流れているんだろうと
思しき映像は、黒い水が家やクルマやあらゆるものを
抱き込むように田畑の上を広がり、
画面をどんどんドス黒く塗り込めてゆく光景。
空撮する報道記者の声の調子がまるで
ディザスタ・ムービーを観ているようだった。

「えーーーっ!?」と二人で同時に低い声を上げた。
昼間なんとなく予測した“とんでもないこと”は
予想を遥かに凌駕していたという驚きが
こんな深夜になって襲って来たという感じだった。
どっと疲れが出た。

と同時に、この真っ黒な波が今後どんなふうに、
どんなかたちで自分たちに影響を及ぼして来るのだろうか
という漠然とした不安の粒がぽつんと生まれた。

:


《覚悟》

1995年の阪神淡路大震災のときは
ちょうど風邪で会社を休んでいた。
電話を切って一旦寝て、医者に行く前にテレビを点けたら
映っていたのが高速道路が倒れている空撮映像だった。

あの画を見たときの衝撃を思い出したが、
今回はカタストロフがオンタイムで進む恐怖が
加味されていた。阪神淡路のときはどこか
他人事だった憶えだが、今回はそうはいかない。
今座っている場所からたかだか250km程度の場所で
つい数時間前に起きた現実と今向き合っているのだ。

そう、“向き合う”。
今後この数日後に起きるあの忌まわしい
「事件」(事故ではなく)と僕らは
対峙しなくてはならなかった。
このときはまだその覚悟はおろか
あの悪夢と「向き合う」羽目になる
ことすら予想できる由もなかった。

この夜がノンフィクションの静かなる
ディザスタ・ムービーのイントロだったのである。


:

******************


遠く離れているはずの東京でさえ被災した日は
半ばパニック状態だった。

パニック状態とは映画のような稲麻竹葦に人が逃げ惑う
状態ばかりを指すのではではなく、大部分においては
日常に混じりながら静かにやって来るもので
時に長期に渡る場合もあるということを
あの震災は教えてくれた。


このあと計画停電やデモの参加などを経験し、
被災時住んでいたハウスの立ち退きから借り住まいを経て
現在の九州との二拠点生活に至るわけだが、
個人的にこの6年は「振り廻された」という感が否めない。

しかし、それをバネにいくつかのことを好機へと
換えることもできたと思う。
九州に来られたこともそのひとつだろう。

人は気の持ちようだ、などとは今回は言わない。
こちらがいくら気を張り踏ん張っても
どうにも敵わないということがあるからだ。
不幸の中にいたが別の意味で運が良かった、
ということだろう。
それに尽きたと今は解釈している。


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2014.09.23

この夏の厚い雲

*


ここ十数年、夏が早く始まり遅く終わるような傾向が続いている。記憶では90年代中頃あたりまでは冷夏が続いていたように思うが、今では5月後半から10月前半までの5ヶ月間が夏になっている気がする。その分、過ごしやすい中間の季節が減ってしまった。冬は極寒、年々過酷な季節が増え何だかすごく損をしているような気分になるが、今年の夏は案外あっさりと引け、凌ぎ易い日が早くから来た印象。身体が自然発火しそうな中、二カ所への引っ越しを敢行した昨夏に比べると、今年は天国並みに感じる。

“その分”ということなのか、今年の夏は複数の友人から仕事に関する悪い知らせが続いた。20余年勤め上げた外資系 I T企業を解雇になった友人、30年近くも講師をしていた有名予備校の人員整理にあったという友人、仕事の激減からついにハローワークに行ったというフリーランスの友人や激務から倒れて入院してしまった大学職員の友人…。

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それでなくともネガティヴなニュース一辺倒な昨今、友人の不幸をブログに列記することに少なからず抵抗を覚えるが、これらは偶然重なった出来事ではなく、線でつなげば何かのかたちになっているように見える。明らかにひとかたまりになった「連携する現象」に映るのだ。そしてそれは決して他人事などではなく、自分を含めた大多数の同年代にいつ降り掛かってもおかしくない事態として捉えておく必要がある。


アベノミクスなどみんなハナから信じていなかった。どうせその恩恵を受ける“対象者”は限られるだろうというのが僕を含め大方が予想していたところだろう。フタを開けてみればそれは的中、ゼネコンなどの大手土建業社や大企業、グローバル企業のみがその対象者だった。

現政が盛んに唱えるトリクルダウン(富む者に潤いが浸透すれば必然的に他の市民へもその恩恵がこぼれるだろうという理論)も、1年が過ぎた今もってその効果はほとんど感じられない。第一そんな富む者任せの理論は、彼らのさじ加減ひとつでどうにでもされてしまうではないか。持つ者が自分たちの富をこぼさないよう企まれたら下で待ち受ける方はもう何もできない。

80年代アメリカのレーガン大統領によるレーガノミクスがまさにそれで、現在世界中でやりたい放題している超・富裕層を作ってしまったのはかの大失策の所為なのである。ネーミングもそれになぞらえているわけだから、結果の方もなぞらえますと言われている気がしてならない。個人的にも次々舞い込んだ友人からのニュースにその空論性を証明されてしまったというのに、未だ景気上昇中と喧伝するプロパガンダには不信感が募るのみである。


:

岡山県倉敷市でオリジナルデニムショップを開いている友人がいる。拙著FLAT HOUSE styleにも広告を載せてくれている『LAUNCH A ROCKET』がその店。オーナーである Fさん自らがひとりでミシンをガチャガチャと操り1本1本作り上げるという完全“個人”制手工業。以前からアシスタントを用いないスタイルや、常にオルタナティブを旨とし大樹の陰に寄らぬ姿勢には深いシンパシーを抱いていた。

彼には会社員時代の岡山在任期によく遊んでもらった。実兄と同年なので本当はセンパイなのだが、年長者ぶるところもなく知り合った当時から気さくに対等な付き合いをしてくれた。喋ることすべてジョークというくらいサービス精神に溢れており、関東出身である僕に彼のキャラクターはかなり新鮮で強烈に映った。

当時はまだ既製服や雑貨を売る店だった店舗裏にはターンテーブルが2台あり、営業職をしていた当時仕事帰りに立ち寄ると、僕しかいないのにDJをやってくれたりした。当時から和製レアグルーヴやモンドミュージック通で、和田アキ子のデビューアルバムなんぞを廻しながらコレは日本のR&Bレコードの名盤なんよなァなどと解説してくれた彼は、当時古い歌謡曲などには眼もくれなかった僕にそれらの面白がり方を教えてくれた初めての人だったように思う。


そんな彼から数年前、商品の後ろポケットに取り付ける紙フラッシャーの制作依頼が来た。協議の結果金銭によるやり取りはやめ、「労働の等価交換」としてデニム2本で取引が成立。ここまで手仕事の権化でありながらマスプロダクトへの解釈もきちんとあるF氏は、C I やアイコンの大切さというものを個人商店主ながらに熟知していた。もう時効だから言うが、その昔英国の某有名ブランドのマークをただの無地ソックスやハンカチに丁寧に刺繍して僕に見せ、ニンマリしていたことがあった。その完成度の高さもさることながら、逞しさというかしたたかさというか世間をナメているというか、とにかくそっちに感心してしまった記憶がある。

今にして思えば、世界に溢れるコピー商品が今日ほど問題になっていなかったバブル景気前夜、すでに世の中がいかにイメージや虚栄心といった通念に振り回されているかをあざ笑うかのようなことをしていたように思う。その後、僕の作ったマークもいろいろなものに流用されているのを見て「サスガじゃわ Fさん」と笑ってしまった。(つづく)


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2013.03.10

アザラシ400万頭と大人ひとり

:


同じようにしている人たちが大勢いるわりに、どうやら公言を憚(はばか)っているような空気だけれど、僕は極力西日本産食材を買うようにしている。一時は九州農家の宅配直販を利用していた時期もあった。こういう行為に対して潔しとしない人もひとこと言いたい人ももちろんいるだろうが、僕は安全のことだけでなく「抗議」の一環だと思ってやっている。

陸でつながる地の復興を願わない者はいない。が、それを利用して自分たちの罪の追求の矛先を反らそうとしている人々の魂胆がいただけないのだ。カタいこと言わずに食べてやれ、食わないヤツは人でなし、売れ残れば風評被害という理論パッケージをバラまいて疑問を抱く方をワルモノに仕立てる。いったい誰がこんな状態にしてしまったのかを問わせないようにするための「被災者かばい」にしか映らない。

こういうコトバに安易に乗ってしまうことは犯罪人達に「やっぱカンタンだったわウチの国民」とタカをくくらせることになるだろうし、何より第二第三のゲンパツ被災地を生むことにもつながる。そんな下心はないというならば彼ら自らがホットスポットの農地を抱える全農家と契約し、すべて買い上げて親戚縁者で食べることから始めたらいい。それならば説得力も増そうというもの。

*

話を戻すが、最近では生協系列の店で購入するようになった。関東からの需要がうなぎ上りになるにつれ、野菜の鮮度と質が少し低下し始めた感があったことも起因するが、信頼できる友人のススメでこちらを知ったことが大きい。ここは出資制チェーンで食品一品ずつ数値測定しており、国の基準を用いずに独自で設定した数値をクリアしたものでないと置かないと謳っている。

もちろん詐称している可能性も0ではないけれど、容器の形を一律にしコストを下げたり、リユースを徹底したりなどの努力も含め、組織の信頼性を精査した上で判断し購入している。その分価格は少し高めだが、外食することを考えればそこまで気にならない額だ。また、近隣で穫れたものなら一般のスーパーより安いものもある。大手量販チェーン店も安さ追求ばかりせず、こういう部分で努力すべきではないか。


*


それにしても産地を商品名の横で謳う商品が激増した。特に「北海道の」「北海道産」は本当によく目にする。某スーパーのPB(プライベートブランド)商品の乳製品も「北海道」の3文字が容器に踊っていたが、よく読むと製造工場は埼玉県。北海道の原料を使っているともどこにも明記されていない。いったいどこに北海道が由来しているのか結局不明だった。

こういう便乗商品もおそらく多いと思われるので、よく読んだり調べた上で購入する必要がある。そもそも北海道がそこまで安全か、ということにも議論の余地ありなのだとしても、安全と決めつけ調べもせずにむやみに購入することもやはりバランスを欠いた行為だとも思う。


昨日沖縄産のインゲンを見かけた。消費期限切れ間近の、いわゆる「見切り品」。値引きされていただけあって退色しており元気度が非常に低い。しかし今日誰も買わなければ週明けは生ゴミとして処理されることだろう。


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「フードマイレージ」という言葉がある。食べ物の輸送でどのくらいCO2が排出されるかに対する指標で、フロリダから日本に来たオレンジはフードマイレージが大きく、和歌山のみかんは小さいという考え方だ。沖縄からとなればそこそこフードマイレージが大きい。わざわざ飛行機に乗ってやって来たというのに、誰の口にも入ることなく焼却炉、良くて家畜の胃袋かコンポストに行くのだ。こいつがここに並ぶまで運送を含め相当な量の化石燃料を使って来ているに違いない。それがすぐさまアタマをよぎった。

消費期限切れなどで処分される食材いわゆる「フード・ロス」を、ドイツは年間31万トンも出しているという。これでたじろいでいたら、何とわが日本の排出量はその20倍以上、500万〜800万トンなんだとか。こういうことに関しては、面積が小さいくせに大国アメリカに追随することの多いわが国、さもありなんだが、ああそうですかと聴き流せない量だ。

平均体重が2トンであるゾウアザラシならば400万頭分…想像がつかない。一人アタマに換算すると判りやすいか。約60キロ、大人の男性1人分ほどの重さだ。成人男性なら自分と同じ体格のニンゲン1人に相当する食品を各個人が廃棄している計算になる。が、女性や子供となれば自重を上回る。もちろんそれ自体もったいないことこの上ないが、それらのフードマイレージをも考えれば、途方もない。レジ袋を使用しないことなんて禊ぎ(みそぎ)にもならないようにさえ思えて来る。

などとジャーナリスティックに筆したためる僕も先日冷蔵庫の中でオクラを腐らせた。「冬なのに」である。「冷やしていたのに」である。半日自己嫌悪に陥った。結構気をつけているつもりのこの僕でさえこうなのだから、全国を考えればスゴいことになっているに違いない。


結局“ウチなん”からいらした半弱りインゲンは我が家で
引き取ることに。腐らせないよう明日はこれを食します絶対に。

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で、こうなりました。

*


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2012.12.15

コトバの裏にあるココロ

*


『日本タメぐち協会』という集まりがあるらしい。
なんでも、集会(飲み会?)中はお互いをファーストネームで呼び合い敬語や謙譲語は厳禁、一回使うごとに罰金10円が科せられるという。現在使われる敬語の多くは「相手に反感を買われないようにするための術」であり「諍い(いさかい)回避の道具」であって、本当に相手を敬う気持ちの発露ではなくなって来ている、その形骸化したケイゴが膝を交えて本音で話し合うという機会を人々から奪っている、もう甲冑のような“形だけケイゴ”は脱ぎ捨てて、対等コトバ=タメぐちで話そうじゃないか〜というのが彼らの言い分のようだ。

それについては僕も以前から同じようなことを思っていた。さすがに初対面の相手やハッキリした主従関係での場合には該当しないだろうが、ある程度仲良くなったら年齢の上下関係なくタメぐちで話した方が良いと僕は思っている。必要以上の敬語は本心の所在を不明にさせ、深意の話し合いの機会を遠ざけてしまう。それが続けば相手への意思表示は停滞、溜め込んだ気持ちがある日一気に相手に向かって暴発(=ブチ切れるという表現だと解り易いか)という結果に繋がり兼ねない。そうなる前に日頃から意見を言い易い関係性を築いておいた方が良いわけで、そのためには上下関係の関与しないコミュニケーションを取っておく必要がある。それに敬語は邪魔な存在となるのだ。


僕が大学時代に籍を置いた音楽サークルにはほとんど敬語はなかった。先輩には「さん」付けしながらも「だよね」「でしょ」で会話を締めていた。それに対して異を唱えたり叱咤する先輩は皆無、もちろん彼らも上級生に対して同じようにタメぐちを使用して来た経緯があるから怒ろうはずもない。しかし、決して年長者をいたずらに対等化するようなものではなく、「敬い」と「親愛」のあるタメぐちだったことは確か。そして、そのことは逆に闊達な会話の空気を作っていたように思う。なので上も下も関係なく彼らとはよく本心から話し合ったという記憶がある。ただただ無意味に縦型関係をなぞることは、いろいろな意味で利益を損なってしまっているだろう。その経験もあって僕はタメぐち派なのである。


*


ならば、いかなる場合も同級生みたいに馴れ馴れしい態度で話せばうまくいくのか〜と考えるのもまた拙速。そこには必ずや一定の「相手を敬う」気持ちがなければダメ。緊張感のないケジメ無き付き合いになってしまうし、ひどければ世間知らずの規律違反者として遠ざけられるのは自明の理。敬語からタメ語へのテイクオフは丁寧にし、相手には「敬われている」という感覚を与える配慮を怠らず使わなくてはいけない。また、タメぐちを使うからには年下の自分に与えられたアドバンテージやハンディキャップは消え、そこも対等であるということは重々覚悟しよう。

そういった微妙なニュアンスをタメ語に乗せて話すことは、むしろ敬語や謙譲語を使うことよりも難しいだろう。しかし、それだけに会話力や表現力のスキルアップにもなるし、本気の関係も生まれて来る。やはり言葉遣いの第一義は、そこに相手を敬う気持ちがあるか否かであって、形式ではないということなのだ。「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」という語があるくらいだから、人は言葉そのものよりその向こう側にある人の気持ちを読むものなのである。

*


というわけで、明日は衆議院選挙の投票日当日。
勝手に始まった与党VS野党第一党連合軍の覇権争いは、二極だいや第三極だと永田町をダッチロール、稲麻竹葦(とうまちくい)の様相を帯びながら今日に至ってしまった。これとこれはくっつけられるんじゃないの、これとこれはくっつくのはおかしいんじゃないのと、なんだか科学雑誌の付録で遊んでいるみたいな合従連衡のオンパレード。選ぶ方にして見たらはその意図にまったくついてゆけず、どの党が云々に賛成だ反対だとまるでサッカーの対戦表でも見るかの如くの政党選びを強いられている。今まで棄権したことのない自分でさえウンザリしているのだから、ヘキエキしている人が大勢いることは推して計れる。

しかし、ほんの4〜5年ほど前までの「ナニトゾ○○をお願い致します〜!」のシャウト一辺倒だった選挙運動はすっかり消えた感があるのはちょっといい。徹底した具体性が遊説には求められ、候補者にもやたらなことをいえばすぐに見透かされ政党力の強弱に関係なく失墜するという緊張感が生まれているように見受けられる。阿呆のひとつ覚えのような名前連呼では、もはや国民に響かないとやっと悟ったようだ。

これはSNSやTwitter、インターネットの動画サイトなどですぐに情報が市井に共有されてしまう世の中になったひとつの成果だと思う。そして多数の国民があの忌まわしい3.11から「このまま放っておくとどうなるか判らない」と危機意識を向上させたことの証でもあるだろう。斯くいう僕もこんなに国会中継やら政治討論番組を見た2年はない。「政治行政は信じるものではなく見張るものだ」といった人がいたが、そうだとすればそれを何十年も疎かにして来たツケが今日のこの状況なのだと合点もゆく。やはり僕たち個々人が知ることに貪欲になり、賢くなってしっかりジャッジするということしかこの状況を動かす方法はないのだろう。


それでも投票に迷っている人は多かろう。どうしても決められない時はひとつの方法として、公約の中で、なかんずく原発について言葉を巧みに操り直言を避けるような党首の政党には入れないという消去法的手段もある。それを奨励している人は僕のほかにも結構いるが、要は彼らが流暢に発している「いかにも」な言葉の裏側にある彼らの心を読めばいい、ということだ。

*


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2012.09.30

今のクルマのデザインがひどいと思う

*

というのは良識ある自動車乗りであれば
ほぼ全員が抱いている共通見解であろう。


クルマに限ったことでもなさそうだが
なかんずくクルマがひどい。
コレに関しては現在の政治に近い感覚を覚える。
「民意がまったく反映されていない」という点で。

拙著『FLAT HOUSE style』のコラムでも
ちょっと触れたが、どのメーカーも
同じ目つきの
同じ顔した
同じようなボディの
同じような内装の
同じ経済性&お得を謳ったクルマばかりで
まことに没個性はなはだしい。
今やどれを選んでも一緒、会社のロゴが違うだけ。
自民党の総裁選か!とツッコミを入れたくなる。


最近頓に言われる「自動車が家電化した」という意見には諸
手を挙げて賛同するが、それはデザインにおいて強くある。
高密度実装化など技術力は素晴らしい日本車なのに、ことデ
ザインとなると急にダサくなり失速、大きくポイントを落と
す。今の日本車なら何に乗りたい?という友人との雑談でも
盛り上がったためしがない。

以前、ホンダの新型軽自動車開発のドキュメンタリーで、自
社の女性社員数人に試作を見せて感想を訊いたところ、ほぼ
全員にシート柄のダサさを指摘され、「考えもしなかった」
と苦笑するチーフエンジニアを見た。この程度なのである。

では以前はどうだったかと言えば、答えは「そんなことはな
かった」。ジウジアーロやピニンファリーナといった
海外デザイナーの蒼々たる顔ぶれが我が国の大衆車を手掛け
ていた時代が確かにあった。それが今や「家電」と言われる
テイタラク。いや、むしろ家電にだって失礼かもしれない。


*

環境問題や経済性から、化石燃料から離れる傾向のある
昨今のエネルギー事情、ハイブリッドカーやEVへの
パラダイムシフトがどんどん進んでいる。

しかし「エコ替え」という産業界にとって都合のいい
摺り替え言語には、コスト安という作り手側の理論も
一緒に乗っかっており、工業製品としての外観追求は
そのドサクサの中で完全に捨て去られてしまった。
それが今日の「没個性自動車時代」の主因であり、
新世代のクルマ離れにつながっている。

そんな中、ここ数年気になっているが「軽自動車」の
存在だ。クルマとしての評価は低く「オバちゃんか田
舎のヤンキーの乗りもの」とか「貧乏人のクルマ」な
どと揶揄されるているのは周知の事実。

が、冷静に精査してみれば税金・保険も安く駐車スペ
ースも取らず燃費も良しと3拍子揃った優秀な乗り物
であり、サイズも含めまさに土地の足りない都市向け
でもあって、そのレゾンデートルは決して「軽」では
ない。誕生時からすでにエコカーである軽自動車に時
代がやっと追いついた感さえある。

*


しかし残念ながら僕が言っているのは現在の軽ではなく、
過去の、いわゆる[エンスー車]といわれる35年以上を
経た旧車だ。昭和を遡るとそこにはジツに個性豊かな
顔ぶれの、まさに名車と呼ぶに相応しい車両が並んでい
る。先述したように軽自動車でも海外の有名デザイナー
に意匠を手掛けさせたり、懸命に美しいスタイリングを
模索した時代が過去にはあったのだ。


*


【マツダR360クーペ】
後に彼のロータリーエンジンを開発するエンジニアによる
マツダ軽車の傑作。凹凸のくっきりしたマスクがモダン。
ボンネットにある旧ロゴが今のものより断然カッコ良し。
1960年発売。

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:

【マツダ キャロル】
軽自動車初の4ドアセダン。ご存知の方も多かろう
コバルトブルー中間色ツートーンは僕も幼少の砌の
記憶にうっすらとある。1962年発売。

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なんと凝ったテールのデザイン!今なら「コストが
かかる」とか何とか言ってどのメーカーもこんなの
は作ろうとしないだろう。そんなことばかり言って
いるから若者がクルマに魅力を感じなくなるのです。

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:


【スバル サンバー】
働くクルマだってこんなにカワイかった。サンバー
とはインドの大鹿のことらしいが、独特のマスクが
とても愛らしいではないか。奥目で何とも人が好さ
そうだ。こういう顔つきのクルマが今はなさ過ぎる。
農家や個人商店主向けに開発投入されたが、今なら
車中泊のできるキャンパー仕様にしたら大いに売れ
そうな気がする。1961年発売。


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:


【スバル R2GL】
「てんとう虫」の愛称で知られる同社の360後継車。
このリアビューにもうやられてしまう。1969年発売。


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:


【ホンダ Z600クーペ】
日本人によるデザインだが欧米で人気を博す。丸みを帯び
ながらも直線をしっかり使ったフォルムには気品が漂う。
アウトビアンキアバルトのパクリとの声もあるがこちら
の方が兄貴。映画監督クエンティン・タランティーノ
も若き日に愛乗しており自身の作品にも登場させている。
1970年発売。

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【スズキ セルボSS20】
イタリアの工業デザイナー/ジョルジェット・ジウジアーロが
基本デザインを手掛けた一台。軽のイメージが全くない精悍な
顔つきには、欧州車の風格が漂う。軽の名車。1971年発売。

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【三菱 ミニカ70】
下敷きにしているのはMINIクラブマンエステート辺りなの
だろうか、この時代の軽自動車はMINIを目指していたもの
が多い。今は昔と逆転し欧州車のデザインがみんな日本車
化して来てしまった。それから考えればユメのような時代
だった。1970年発売。

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【スズキ ジムニー】
初期のスタイリングはまさにミニジープ。
軽自動車初の本格四輪駆動オフロード車で、日本の狭い林道を
駆れるように美しくダウンサイジングした日本のお家芸的な一台。
軽の利点をフルに活かした質実剛健さと可愛いルックスから、
たくさんのファンを掴む超ロングセラー車となった。
海外での評価も高く、特にこの初期モデルにはスズキに
バトンを手渡した開発メーカー『ホープ自動車』の製作者の
強い意気込みを感じる。最初の車両は1970年のデビュー。


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【ホンダ トゥデイ】

FIAT社LITOMOのデザインからインスパイアされたそのエク
ステリアは、ボンネットまで食い込んだヘッドライト処理か
ら見てももうLITOMOの異母兄弟。すでに“パクリ”の領域
ともいえるかもだが、これを気に入って欧州に持ち帰った
フランスのエンジニアが今度はルノーからクリソツの『Twi
-ngo』を発売させてしまう。その経緯を好意的に見れば、
伊→日→仏という順序でデザインのリレーが行われたとも
取れる。そういう意味でいえばおかしな表現だが「純粋混
血児」といえそうである。
この後次代モデルで一旦角目になるものの、3台目には再
び丸眼に戻された。当時使われ始めた「オシャレ」という
キーワードそのままの路線で売り出され、これまた当時も
てはやされ出したトレンディ女優がCMに起用された。
1985年発売。

Today


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【ホンダ シティ】
軽自動車ではないので番外編として。
イタリアの工業デザイン企業ピニンファリーナがカブリオ
レをデザインしたことで知られるコンパクトカー。CMに
もUKのSKAバンドMADNESSを起用するなど、明らかに新世
代をターゲットにしたコンセプチャルな一台。やはりこの
車も当時欧州のメーカーがこぞって包囲網を敷いたほど売
れに売れていたVWゴルフを強く意識したのだろう。
この頃あたりからまでいわゆる「丸眼」のマスクから「角
眼」への移行が始まり、「丸眼」に少し懐古的ニュアンス
が生まれ出したため登用したとも私は想像する。この後に
出るトゥデイもこの車の成功から生まれたように見える。
来年復刻されるらしいが、ゼヒこのフォルムのまま発売し
て欲しいもの。1981年発売。


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こんなふうに70年代以前には軽自動車にも
相当な力が入っていたのである。
今みたいにただただ経済的というのとはワケが違う。


*

最近までの状況を見れば、普通車よりも「まだ」
面白いデザインが出て来ていたように見える
軽自動車が、いち早く初期のデザインとプライドを
奪回し、このくらいカッコ良く戻ろうとしたならば
普通車から乗り換える壮年層だって少なくないだろう。
興味のない若者も振り向くのではないかと思う。


そうするとすぐツーシーターの軽スポーツカーを
作ろうとするが、それはNGと釘を刺しておこう。
クルマのカッコ良さ=スピード&スリリングという
感性は昔日の若者のものであり、それを持ちあわせ
ないのが現世代であって、その彼らがクルマ離れを
起しているということをそろそろ認識して頂きたい。

潜在需要があるのはあくまで移動と運搬を目的とした
4人乗り以上でハッチバック付の5枚ドア。それでいて
美しいフォルムの軽自動車でなくてはいけない。
こんなにスペース広く取りました的な箱型タイプも
今や供給過多なので卒業し、傾けて来たエネルギー
をデザインの方へシフトさせるべし。

VW初期型ゴルフや旧ミニ、フィアットパンダやルノー5、
キャトル、シトロエンBX、プジョー205などを選んでいた
人々をターゲットにと言えば判りやすかろう。
(この手の人たちは僕の周囲に相当数いる)

それにしても昔できたことがなぜ今できないのかフシギで
ならない。もし本当にできないなら無理に新車を出すこと
はない。復刻だって十分良いのだ。ただし、機関以外は
一分もオリジナルと違わずに作る「完全復刻」が大前提。
おかしな新解釈を挟むと上記の人々には絶対に売れない。
「やっぱりダメだったじゃないか」という失敗例となって
しまい二度と試みないという最悪のパターンになるので
中途半端な復刻はゼッタイにしないことだ。


*

かつて英国のバラエティ番組『モンティ・パイソン』の
翻訳やプロデューサー、作家としても活躍した
故・景山民夫氏も相当な軽自動車愛好家だったし
友人の知人で、バウンサーを生業とする米国人も
格闘家のような体つきで軽を愛乗しているらしい。

このカテゴリーは日本産業界が気がついていない
大きな商機の眠る「シェールガス層」のような分野。
早期に普通車の階級下的な屈辱的スタンスを捨て、
その独自性を活かした思い切りを再び発揮し世界の
自動車ファンを驚かせるようなルネサンスを見せて欲しい。


小型化を苦手とする米国の自動車産業界が
我が国の「軽」枠を取っ払えと政治家を使って
圧力をかけて来ているそうだがとんでもない話だ。
断固阻止せねばなりません。

*


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2011.07.21

阿呆の体裁には逆ギレを



もう10年以上も前の話になるが、ちょうどこの時季
電話回線の調整でNTT業者に汗だくで来訪されたことがあった。


イヤな予感は的中。
案の定、床や机の上に汗をぼたぼた垂らしまくってくれた。
最初は黙って拭いていたが、ついに書類の上に垂らしたので
結構年配の人だったにも拘らず思わず叱り飛ばしてしまった。


こんな猛暑日に汗を拭うタオルも持たずお客のところに
来るなんてエチケットに反しますよ!と諭すとこれも
予想通りの平謝り、こっちがいじめているような
空気になって更に不快。
というか、その前にまず「服装」に問題があるんじゃないか。


32〜33℃はあろう気温の中、グレーのセビロ姿。
ネクタイにまで汗がしみ込んでいた。
お客に対しての身だしなみのつもりらしいが、
酷暑日に見るおっさんのセビロ姿ほど見苦しいモノはない。


すでに会社員を辞めていた私は、
「第一、なぜこの暑さの中そんなセビロ姿なんですか」と
在社当時から疑問に思っていたことをこの業者に
ぶつけてみたところ、セビロを着て来ないと
「失礼だ」と迫る客がしばしば居るからです、
という「やっぱり」な回答。


そんな客には、オマエはエアコンの効いた涼しいところに
居るから そんな勝手なことをぬかせるのだ、じゃあ今セビロ着て
1時間でも外を歩いてみろ!と、逆ギレしていいはず。


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しかし、それをおとなしくハイそうですねスイマセンと
聞いて来てしまうことにむしろ大きな問題がある。


いいオトナがですよ、
「暑い日は逆に汗をかいて見苦しいので
こういう格好にしています、ご容赦を~」
くらいの 簡単な解説、あるいは説得がなぜできないのかね?
そんな時勢を見ない無知な言いがかりを言うひと握りの
クレーマー顧客にあわせて 汗だくになっている事に
理不尽さのかけらも感じないのかね?と思う。


結局「そんなことで仕事に支障が出ては~」と
いうようなことだろうからそれ以上は訊かなかったが
そのめぐらせ過剰な体裁意識や ことなかれ思想、
ちょっとした交渉をも煩わしがる生活姿勢が
クソ暑い真夏日にあの格好をさせている。


その、こんなことしたら言ったら怒られる、
こんな格好で通勤したら何か言われる、という
個々人の「小さな億劫&臆病」もゲンパツを動かす
大きな要因になっているということを知るべきだ。

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第一、どこに「仕事は絶対にセビロを着なくてはならん」
というルールがあるというのだ?
ありもしない戒律に怯え、不条理と感じつつ従っているあなた自身、
それを強固なものにしてしまっている実直な協力者ではないのか?


今年から各自すすんで涼しいと思う格好で仕事をしよう。
ハーフパンツだって厭(いと)わなくて良し。
60年代のIVYでは正装カテゴリーに入っていたのだから。
なぜスーツで来ないと問われたら、暑いからですよでOK。
気候変動を知ろうともせず、時代錯誤の慣習を
押しつける方が間違い。
くだらない遠慮や体裁は無用、これが一番の節電。


今夏は、セビロを着込んでエアコンをガンガン点ける
阿呆な上司や、人にはサディスティックに体裁を要求する
時勢の読めないお客を教育するいい機会だ。

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