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2017.03.11

3月11日という一日

:

3月11日から15日にかけての数日間には
やはり特別な念がある。

もちろん喜ばしいはずもなく
ああ、今年もまた律儀にも来るのか、という感じだ。
この感覚はおそらく一生消えないのだろう。
戦争を経験した人たちが8月15日を忘れられないのと同様に。

昨年は震災からちょうど5年という節目?だったので
自分が被災した時のことを時系列で記しておこうと思い
少しずつ書いていたのだけど、
すっかり1年経ち6年目になってしまった。
また1年経ってしまわないよう
ここでアップしておこうと思う。

******************


思い起こしてみる。
あの日、2011年3月11日は
神奈川県大和市にある米軍ハウスを仲間と
シェアして始めたFLAT HOUSE cafeにいた。
オープンして2ヶ月、某カフェチェーンの社長が
店が見てみたいと来店、ついでに僕とも話したいというので
昼前から当時住んでいた府中市からクルマで訪れていた。

カフェ奥の一室を店舗にすべく一緒にシェアしていた
イラストレーターの友人Aさんと、社長を連れて来た
Tさんの4人で個室で昼食をとりながら歓談した。
ご年配のこの社長、ジェントルな外見とは裏腹に
かなりお話し好きな御仁。
自身の会社の四方山話から始まって
今後の商売展開についてなど一瀉千里に話した。

こんなふうに米軍ハウスの店舗も出したいやら
ガソリンスタンドの空き物件をカフェにしたいやら
これからは郊外店舗の時代ですと某チェーン店を例に
挙げて解説したりもし、気がつけば以下3名は
完全なオーディエンスの体。

そのあたりまでは良かったのだが、
だんだん話題はあらぬ方向へと脱線。
知り合いに御神輿を作っている職人が居るんですが
面白い人でね(どんなふうに面白いかの説明はナシ)
ひとつ2000万なんですがこれが売れないそうで
アラタさん売ってみませんか、10%差し上げますよ、
などとまったく今回の訪店に関係ない話にまで及び始めた。


だんだん内容がアタマに入らなくなって来たのに
真正面に座られてしまっているため完全ロックオン。
感想を述べて流れを変えようにも「ええ」の一言で
片付けられ、再び自分のことだけを延々話し続ける。
まったく会話が成立せず、申し訳ないが
そろそろ逃げ出したくなって来ていた。

:

《揺れが来た!》

突然、社長の顔と背後の壁や天井が歪み始めた。
まるで船上にいるかのような気分になり
長時間の話に三半規管がおかしくなったのかと疑った。
ペンダントライトの大きな振幅と女性たちの悲鳴が
こちらのせいではないことを教えてくれた。

AさんTさんがテーブル下に潜り込み始めたが
社長は身体を揺らしながらまだモノローグを続けている。
そんな彼を尻目に部屋を飛び出て歪んで開かなくなる前にと
屋内のドアを開けて廻った。

恐る恐る外に出ると、大きく傾ぐ電柱にたなびく電線が眼に入った。
近所の奥さんらしき数人が玄関先にボーッと立ち尽くして
それを見ていた。出て来たこちらに気付くとひとりが
揺れる電柱をだまって指差した。

それに相づちを打ちつつそっと立ってみると、揺れている。
「すごいね!外に出ても揺れを感じるよ」
といいながら戻ると、店内はまだ船のよう。
お客さんを含めスタッフ全員心配顔。
着席する気になれず立っていると少し酔いを感じて来た。
3人の様子が気になり個室に戻ると、地震のようですね、と
ようやく社長がオンタイムな話題を口にしてくれた。

店内にはテレビもラジオも無かったので
情報がまったく入らない。相当大きい地震のようだが
震源はどこなんだろうと話していると、だれのも
繋がらなかったのに僕の携帯電話だけが突如鳴り出した。

あとで判ったことだが、キャリアによってかかり方に
差があったようで、僕のだけが繋がったらしい。
その日は本業の出勤で会社にいたMさんからで
震源は東北沖だということや
都心で何が起こっているのか教えてくれた。
日頃スローモーに話す彼女がかなり慌てている。


その時はまだ津波の話はなかったように思う。
が、神奈川でこの揺れなのだから震源地ではスゴい被害が
あったのではという予測はついた。これはこれから大変な時間を
過ごさなくてはならなくなるかもしれないなと予感した。

クルマで来ていた社長は特に慌てるでもなく
Tさんを乗せて自宅のある都心方面へ立ち去った。
それを見届け、現金を下ろしておこうとサイフを取るや
最寄り駅の小田急線の中央林間駅まで自転車を走らせた。

電車が停まっているだろうことはすぐ判った。
到着時はぽつりぽつりとしか居なかった老若男女が
5分も経たないうちに改札口付近にわっと溢れ返ったからだ。
不思議なのは誰ひとりとして歩き出そうとせず
改札ホールに佇んでひたすら携帯電話をいじっていたこと。
全員がフラッシュモブでもしているかのような異様な光景だった。

:


《大災害の予感》

CDから現金を多めに引き出し、スーパーに寄って食料品を
しこたま買った。多分、一両日中にお金も引き出せなくなり
店から品物が消えるだろうと予感したからだ。

が、その時はまだ客たちに何の切迫感もなく、
普段通りに買い物に来た感じののんびりとした空気だった。
自分だけがあたふたとカゴに食品を詰めているということに
激しく違和感を覚えたことを憶えている。

首都圏の交通がほぼ全域で麻痺していた事がわかったため、
それでなくても混む国道16号線のことを考えて
帰宅は深夜まで待つことにした。
既に帰宅を諦めていた台東区に住むAさんを
我が家のゲストルームに泊めることにして22時過ぎに出発。

カフェを出て1分もしない内に渋滞に捕まる。
到底詰まるはずのない道に真っ赤なテールランプの
行列が見えなくなるまで延びている。
ここからこんな調子じゃ本番勝負の
16号線はどんなことになっているやら。

正攻法での帰宅は諦めてカーナビの画面を最大限に拡大し
目を凝らしながらあみだくじをやるように住宅街の小路を
くねくねと低速度で北上してゆく作戦に方針転換。
界隈の地理に明るそうなハンドルさばきの
タクシーが僕らの前をしばらく走った。

16号線を横切って町田街道に入ると
ぐっと空いて走り易くなった。
が、町田市から八王子市に入るあたりで
おかしな光景が目に飛び込んで来た。
店内が真っ暗なセブン・イレブンだ。

気付くと街灯、信号さえも消えている。
街中を走っているはずなのに、山道か森の中を
走っているかのようだった。
「そうか、大規模停電してるんだ!」
これが渋滞の大きな原因なのだなとその時は思った。

本当はアクセル全開で走り抜けて行きたかったが
再び速度を落として走行した。
少しずつ眼が暗さに慣れて来て
交差点の手前に来ていることが判ると、
いきなり笛の音が耳に飛び込んで来た。

すると暗闇の中で懸命に手を
上げ下げする人のシルエットを発見。
ヘッドライトが手旗で必死に交通整理をしている
警察官の姿を浮かび上がらせた。
おそらく人員が不足していたのだろう、
ひとりだけで公務を執行していた記憶。

クルマは大人しく従っていて何事もないように
見えたが、24時間営業のコンビニの閉店と
真っ暗闇にうごめくひとりの警官の影で
充分非常事態の様相だった。

:

《予測を超えた現実》

家に到着したときはすっかり日をまたいで
午前1時を廻っていた。いつもの倍以上の時間が
かかっての帰宅だったが、それでも相当運が良かった
ということがMさんとの電話で判明。
昼間に出た社長は晴海の自宅に帰るまで気の毒にも
8時間も高速道路に乗っけられたままだったそうだ。

先ず気分を落ち着かせるために湯を沸かしお茶の準備をした。
昼食から何も口にしていなかったので
帰り道すがら近隣のコンビニで買っておいた軽食を拡げた。

お茶を入れ、食べ物を少し口に入れながら
いったい世の中はどうなっているんだとテレビを点けた。

阿鼻叫喚。
おそらく昼間から繰り返し流れているんだろうと
思しき映像は、黒い水が家やクルマやあらゆるものを
抱き込むように田畑の上を広がり、
画面をどんどんドス黒く塗り込めてゆく光景。
空撮する報道記者の声の調子がまるで
ディザスタ・ムービーを観ているようだった。

「えーーーっ!?」と二人で同時に低い声を上げた。
昼間なんとなく予測した“とんでもないこと”は
予想を遥かに凌駕していたという驚きが
こんな深夜になって襲って来たという感じだった。
どっと疲れが出た。

と同時に、この真っ黒な波が今後どんなふうに、
どんなかたちで自分たちに影響を及ぼして来るのだろうか
という漠然とした不安の粒がぽつんと生まれた。

:


《覚悟》

1995年の阪神淡路大震災のときは
ちょうど風邪で会社を休んでいた。
電話を切って一旦寝て、医者に行く前にテレビを点けたら
映っていたのが高速道路が倒れている空撮映像だった。

あの画を見たときの衝撃を思い出したが、
今回はカタストロフがオンタイムで進む恐怖が
加味されていた。阪神淡路のときはどこか
他人事だった憶えだが、今回はそうはいかない。
今座っている場所からたかだか250km程度の場所で
つい数時間前に起きた現実と今向き合っているのだ。

そう、“向き合う”。
今後この数日後に起きるあの忌まわしい
「事件」(事故ではなく)と僕らは
対峙しなくてはならなかった。
このときはまだその覚悟はおろか
あの悪夢と「向き合う」羽目になる
ことすら予想できる由もなかった。

この夜がノンフィクションの静かなる
ディザスタ・ムービーのイントロだったのである。


:

******************


遠く離れているはずの東京でさえ被災した日は
半ばパニック状態だった。

パニック状態とは映画のような稲麻竹葦に人が逃げ惑う
状態ばかりを指すのではではなく、大部分においては
日常に混じりながら静かにやって来るもので
時に長期に渡る場合もあるということを
あの震災は教えてくれた。


このあと計画停電やデモの参加などを経験し、
被災時住んでいたハウスの立ち退きから借り住まいを経て
現在の九州との二拠点生活に至るわけだが、
個人的にこの6年は「振り廻された」という感が否めない。

しかし、それをバネにいくつかのことを好機へと
換えることもできたと思う。
九州に来られたこともそのひとつだろう。

人は気の持ちようだ、などとは今回は言わない。
こちらがいくら気を張り踏ん張っても
どうにも敵わないということがあるからだ。
不幸の中にいたが別の意味で運が良かった、
ということだろう。
それに尽きたと今は解釈している。


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