西南西に進路を取れ
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しかし、いくら暑いとはいえ随分と間が空いてしまっていた。「ノンビリ更新」がキャッチフレーズのブログとて、5ヶ月は開き過ぎの声多数。確かにブログ開始以来かもしれない。ただ正確に言うなら、読んでくださっている方々には失礼ながらと前置きしつつ、この半年はブログ更新どころではなかった。本業のご依頼でさえいくつか断ったのだから。
ジツはこの7月から九州で暮らし始めている。
きゅッ、九州!?とみな一様に驚いてくださいますが、自分の中では「移住」という意識はなく、単なる「お引っ越し」という程度の位置づけ。しかしながらその準備に春先から今日までを追われ、5月末からは「転居トライアスロン」ともいうべきハードでヘヴィなイバラの道を歩いて来た。オーバーと思われるかもだがこれがまたホント、本が一冊書けちゃうほど。おかげで体重も落ち、顔つきがすっきりしたと褒められたほど(ということはたまにはこういう激務もいいのかな)。
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「お引っ越し」の理由はと問われれば、いくつもある。すべて書くと軽くブログ4〜5回分くらいになってしまいそうなので代表的なのをひとつ。「首都圏一極集中にほとほと嫌気がさした」ということ。
あの高層マンションや狭小住宅がぎちぎちに並ぶ姿を「下世話な光景」と評し、何が起ころうと相変わらず「都内」から出ない人々の暮らし方を「イナカッペどもの肩車生活」(この場合イナカッペとは人の出身地ではなくセンスを指します)と揶揄して来たというのに、自分もその界隈に住み続けているという整合性のなさ。その自己矛盾にもそろそろオトシマエを着けたいと思っていたところに、前居の立ち退き騒動や件のゲンパツ爆発が加わって“ぶり” がついた、という次第。
僕が毎度揶揄するのは23区内、なかんずく環状7号線内側あたりのことなのだが、あんな狭い輪っかの中にあんなに大勢が固まって住んでいるのは、やはりどう考えてもバランスを欠き過ぎている。世界の他の都市を見ても過密の度を超しており、人口密度の高さは2位のジャカルタを軽々と抜いて堂々の1位だ。唯一取り柄だった「情報発信の中心」ですらネット社会ですっかりコモディティ化してしまった今、東京都心に褒めるべき面がもう見当たらない。
よく聴く「便利だから」というコトバ、みんな大好きなようだけれど、その便利とは駅・コンビニ・飲み屋メシ屋が近いってことですね?こちとらそんな所で育ったもんでもうお腹いっぱいなんです。「シブヤまで○分で出られる」という台詞にももうヘキエキ。あそこをエルサレムみたいにありがたがっているけれど、料金払ってかまってもらう商業施設があるだけではないか。どこに立ってもビルと道路とクルマに完全包囲、金払わなきゃしゃがませてもくれない。電気がちょこっと停まるだけで何もできなくなる大企業運営の電動テーマパーク。
わずかな緑や痩せた川や埋め立て海辺をうやうやしく扱い、突貫建築のことをナントカフロントだのナントカヒルズだのと呼ばせて高ーいおアシを取る。そのハリボテ加減に薄々気付きながらも、誰もが揉み手で半笑い。もの申すまっとうな大人はいない。「カネが廻りゃあいいじゃないか」。そんな街に成り下がってしまった。
その空気がだんだん僕の住む都下にも本格浸食し始めて来た。震災があって少し治まっていたものの、1年もしないうちの再開である。通るたびにいいなあと和ませてくれ、周囲の景観の質を上げてくれていた数棟の古い住宅は、ひと月もしない間にチャチな建て売り住宅群に変わっていった。のんびりした都下にもここまで魔の手が伸びて来たか、といった感。
この過剰な人口集中こそが乱開発や利益の過剰追求、そして“人間の管理”を容易にさせているのではなかろうか。特定少数を既得権益にいつまでも吸い付いつかせている原因は、どうやらこの都民の「無節操カタマリ現象」にも大きく起因していると僕は見る。あなたがなけなしの収入から支払っている都税が一体どんなことに使われているか、一度よく調べてみるといい。
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このおかしな構造を打壊するには、みんなが全国に散ることだ。彼らはこの偏った人口バランスに依存して生きている。できる者から人口の少ないところにゆくといい。そしてそこであなたが培ったセンスをかたちにしたらいい。人に手足がぶつからないところで伸び伸びと発信できる。首都圏で使う半分の力で倍のパワーが発揮できるだろう。そんな人に来て欲しいという地は全国いくらでもある。タダでもいいから住んで欲しいという空き屋は山ほどある。
それなのにわざわざとりたてて居る理由もない首都圏で、ビルとニンゲンの山にはぁはぁとしがみつき高い家賃やローンを律儀にも毎月払っている。自ら好んでダンゴ状になっている。滑稽を通り越して哀れにさえ映ってしまう。友人も親族もいるけれど、映ってしまうのだから仕方がない。
関東の人間は転勤でもない限り関東を出てはいけないわけではない。地方の人たちが東京に来るように、僕らも軽い気持ちで地方に行ったらいい。同じ国内、自由に別の地に移って違った暮らし方を試してみるといい。自分はここでこうしているしかないという思い込みが、まったくバカげていたと変心する可能性はすこぶる高い。
また地方はあなたがイメージするようなかつての地方とはもう違うということも知るだろう。「上京」は今や死後だ。既にそれに気付いて行動に移している人たちが大勢いる。僕も遅ればせながらではあるけれど、自然とそれに準ずることにしたということである。
東京都下にも仕事場は残しているが、今後執筆などは九州で行う予定。その拠点がこのFLAT HOUSE。九州でも残存数の少ない米軍ハウスに運良く出会えた。すべての窓がクラシカルなダブルハング(上げ下げ式)というハウスは、都下でももうほとんど見られない。入居にはオーナーの面接をクリアせねばならなかったが、晴れて狭き門を突破。全貌は来年発刊予定の拙著で。
九州は個人的にも未踏の地に溢れている。その上関東より古いものや建物がたくさん残ってるようだ。こちらの友人たちから情報を聴けば聴くほど期待が膨らむ毎日。今後はブログでもこちらの魅力を紹介してゆきたい。
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