23年前の僕へ
1986年にソ連のチェルノブイリ原子力発電所が
爆発事故を起こし、東欧州の広範囲を汚染した。
それに準じるように日本でもにわかに「反原発」の
気運が高まったことがあった。
それまでにも原発の危険性を訴えていた人はいたが
極一握りの識者やナチュラリスト、左翼的思想家ら
「特殊な職業」の人たちに限るという印象があり、
世論がそれに大きく追随するようなことはなかった。
通う大学の構内や、通学駅などで配られたビラで見た
「反原発」の文字は、どこかの別世界の事柄で
今すぐ自分たちの身に降り掛かり得る恐ろしい事実を
まだR&Rやファッションやイタリア製スクーターの方が
最優先事項だった僕に突きつけるリアリティに欠けていた。
そんな空気の中でのチェルノブイリ原発事故は
寝入りにアタマをハンマーで殴られるような
強烈な衝撃で迫り、急遽僕らに「被曝死」という
現実が今そこにあるという恐怖を突きつけた。
急にその恐ろしさを歌い出した
ミュージシャンやバンドが
何より僕らの危機感に拍車をかけた。
それまで、自分とは縁遠いオトナたちだけが騒ぐ
ポリティクかつアカデミックな抗議だと思っていたのに、
それは大きな勘違いだぞと少し年上の友人に
諭されたような、そんな感じだった。
いったい放射性物質とは何なのかとか
日本にこんな施設がいくつあるかとか
どんどん関係書を読み進めるにつけ
既に廃絶機運の高まっていた
英国のミュージシャンたちの歌や
活動の意味もどんどん理解できるようになった。
「なるほど、そういうことだったからか…」
**********
当時個人的に親交のあったザ・ブルーハーツが
『チェルノブイリ』という曲をリリース。
タイトル通り反原発的な内容から、
彼らの所属レーベルの親会社が原発製作に拘っていたため
発売許可が下りず、自主制作でのリリースになった。
このことが僕の反骨精神の導火線に火をつけた。
遠隔地で戦う原発廃絶パルチザンの一員になったような
気分でしばらくを過ごすことになる。
当時、仕事の配属で岡山県に滞在していた僕は、
四国の伊方原発とその反対運動の存在を知る。
仕事外で知り合った知人たち有志がみんな手弁当で集まり、
冊子やパンフレットを作って配ったりして、とても一生懸命
訴えていた。特に小さな子供の居る人たちは真剣だった。
しかし翌年の春、伊方原発は何事もなかったかのように始動した。
そのニュースをTVで見た時に、全く歯が立たなかったという
結果に呆然とし、両膝を床に付いて「死ぬ日は決まったな」と
絶望的になったことを憶えている。
あの時に感じたリアルな恐怖を今回久しぶりに味わった。
当時、何とかしなくては大変なことになると
声を上げていた人々は、 一生懸命に
訴えれば訴えるほど「エキセントリックな人たち」
という 目で見られていたのも事実で、
僕自身も「心配し過ぎ」「あまり思い詰めるな」
とよくなだめ透かされたものだ。
知れば知るほど、生物すべての未来を
根こそぎ持って行くとんでもない化け物…
知っている人は解っているものの、
全国民の意識を変えるには
チェルノブイリもまだ遠かった。
そして運悪く折しものバブル景気到来に重なり
高まる過消費ムードの中、大多数の人々には伝わり切れず
日本人得意の「楽観論」が勝って次第に反対の空気も消沈、
90年代を迎える頃には忘れられてしまった…
しかし、忘れなかったのは当のゲンパツ自身。
彼の出した請求書が時を経て莫大な利息を伴い
今、手元に届いているわけだ。
**********
斯くいう僕も、その都合良く「忘れた」一員である。
直下型が一揺れでも来たらドカンと壊れてあっという間に
広範囲の生物を殺傷できる放射能マシーンが、
自分の生活圏のすぐ横に置いてあることを常に念頭に
おきながら暮らすことなど、あまりに重たくて続かなかった。
平和な日常が普遍的なものであって欲しいという
願望がつくり出す「正常化バイアス」が
僕にも努めて忘れることを促したのである。
**********
今回の東日本大震災における
津波→原発損壊→放射性物質漏洩→広範囲汚染
のシナリオは、既に当時に描かれていたものだ。
そのシナリオは誰もが一度は眼を通し、憶えていたにも拘らず
上演が未定だったため、そしてあまりにヘヴィだったため
忘れてしまった、忘れる努力をしてしまったのである。
でもそれが20数年経った現在、急遽上演され出した。
しかも、シナリオに忠実に。
もし時間をさかのぼって当時の僕に会えるならこう言いたい。
「このシナリオはな、必ず演じられる日が来る。
忘れずサボらずしっかりとやっておけ。悔いることになるぞ」
おそらく、当時の僕と同じような経験をし、
今、慚愧(ざんき)に耐えられずにいる
同世代は随分たくさん居るのではないだろうか。
当時すでに成人を迎え、沢山のことを学んでいた
にもかかわらず、日々仕事や煩雑なあれこれにかまけて
煩わしくも最も「大事」なこと後回しにして来たことに
今、強く自責の念を感じている。
たかだか僕らが抗議を貫徹したところで
どうにかなった問題ではなかっただろうが、
あの時キッチリやったか・やらなかったかは
心の問題として大きな悔恨を残し、
今回の原発事故と合わさって
僕に強烈なダメージを与えた。
共存はもうあり得ない、
ということはもうツメの先まで証明された。
今度こそきっちりやらないといけない。
辛いし面倒くさいだろう。その上長丁場にもなるだろう。
が、今度こそ「廃絶」の手続きをしなくてはならない。
今度はコツコツと、粛々とやる。
できるできないに拘らず、今度は敢行しきれそうな気がしている。
23年前の自分へのリベンジでもあるのだ。
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Comments
まさしく、思っていた同じことを書いて下さったなぁという気持ちです。
ふつうの人たちが、自分が、原発廃絶をめざして働いていかなくてはいけないと思います。
Posted by: fufu | 2011.04.18 09:41 PM
■fufuさん
コメントありがとうございます。
同じような思い出を「キズ」として持つオトナは大勢いるでしょう。
今回は決して当時のようにドラマティックな展開を期待せず、
日常生活の中に無理なく組み込んでじっくりやって行きましょう。
Posted by: arata coolhand | 2011.04.19 01:37 AM
>あまりに重たくてできなかった。
平和な日常が普遍的なものであって欲しいという
願望がつくり出す「正常化バイアス」が
僕にも努めて忘れることを促したのである。
その通り、その通りなんです。
でも、アラタさんが反原発運動に関わっていた事があるとは、知りませんでしたよ。
今度こそ廃絶を目指さなくては。と、思います。
今まで、不勉強ゆえ、いまさら原発に頼らない生活は、
本当にはできないのではないかと心のどこかで思っていたのです。
電気を使って生活している身で、代案なしに反対を唱えることは
不誠実なのではないかと思っていたのです。
日常の中に原発廃絶を。じわりと賛同する人を増やすこと。
それが次なる手だと思うのです。
不安や感情に訴える方法では二の舞になると思います。
諦めない。それが一番大事ですね。
Posted by: SATOKO | 2011.04.19 02:13 PM
■SATOKOさん
このバイアスが人一倍強いのが、
不幸にもゲンパツ列島の我が日本国民です。
僕は活動をしていたというほどのことはして
いません。むしろ傍観組でしたが、
問題意識は高い方だったと思います。
就職試験の面接で
「最近一番大きかった出来事は?」という
質問に間髪入れずに「チェルノブイリの
ゲンパツ事故です」と答えましたから。
「ほほう」で流されちゃいましたけど。
中四国では30代以上の人たちが戦っていましたね。
若い人達は話題にはしていたものの、具体的に
どうして良いのか解らないような感じでした。
でも今は若い人達も随分声を上げているので
各世代が満遍なく立ち上がっている印象。
しかもインターネットもあり、情報や人の
集散もしやすければメディア規制や圧力も
すぐにばれてしまう。
なんだかイケるんじゃないかこれは!?という
期待感がありますね。
とにかく、ヒステリックにならず整然と、そして
緩急をつけながらじっくりやって行きたいものです。
Posted by: arata coolhand | 2011.04.21 04:05 PM
私もまだまだ不勉強ながら、反原発運動できる範囲で参加してます。まずは知ること、ですかね。
福島原発はかなり痛いビンタですが、これを機にみんなの意識が変わっていけば、と思います。
Posted by: 鹿ちゃん | 2011.04.22 10:56 PM
■鹿ちゃん
当時僕がゲンパツの危険性を話すと、そうかも知れないけど
やめられないでしょう〜としぶしぶ容認するような発言をする
「イヤだが致し方なしタイプ」の人たちが相当数いました。
電力会社とそれを推進したい人たちの「無いと生活が不便になるよ」
のプロパガンダが功を奏していたんでしょう。
でも今回でその呪縛者との勢力図も大きく書き変わるでしょう。
農作物、海産物、畜産酪農、そして日常生活…その全部を
できなくしてしまう事業なんて、許しておいていいはずが無い
ということが国民に周知確認されてしまった訳ですから。
全ては難しいだろうが一部なら…という現実的な着地点を取ろうとする
向きもありますが、ここはもうバリバリの理想論の貫徹で行きたい。
ズバリ全廃です。本当に将来を考えるなら、ここは国民上げて
踏ん張らなくてはいけないでしょう。
Posted by: arata coolhand | 2011.04.23 03:00 PM
日が経つにつれ
みんなが原発のハナシを避けるように
なっているように感じられて恐怖です
無関心になってしまわないように気をつけたい
「日常生活の中に無理なく組み込んでじっくり」
わたしも出来る事を探し続けようと思います
Posted by: ドリ | 2011.04.23 10:31 PM
■ドリさん
ブログにこんなコメントが書き込まれるのであれば
今度は何だかイケるのような気がしています。
そしてマスコミが掌を返したように東電タタキを始めました。
しかし、たたくべきは彼らよりその後ろに隠れている大きな影。
「トカゲの尻尾切り」をさせないようにしなくては。
Posted by: arata coolhand | 2011.04.29 01:00 AM
初めまして。
平屋大好き…で時々このブログを覗かせていただいてました。
でも、この原発の話を読んで、本当に深くうなづいてしまいました。80年代、祖父がやっていた原水禁の活動はあまりに政治的な匂いがして、祖父が政治家でも政治的思想を持っていたわけでもなかったにも関わらず、なんだか嫌でたまりませんでした。
ちゃんと話も聞かないまま、祖父は亡くなってしまいました。チェルノブイリの事故は衝撃的で、ブルーハーツのこの歌だってちゃんと知っていて、聞いていたのに。
初めましてなのにこんなことを書いてすみません。
でも、この数ヶ月、自分のなかで悶々としていたことをすっきりとはっきりと書いてくださっていて、感動しました。ありがとうございました。
ポーズではなく、今度こそ、オトナになった自分たちが日々の行動であいつを無き物にしなくてはなりませんよね。
Posted by: utanoi | 2011.06.28 04:51 PM
■utanoiさん
こんな事態になって、改めて遥か過去の自分たちの考え方や態度と
向き合わねばならなくなるというのもジツに因縁めいた話ですよね。
まるで、今後生きて行く上で1秒たりともいい加減な気持ちで
過ごすことは許されないと言われているような気がします。
電話一本で弱い老人たちから何億円もの生活費を
むしり取る卑劣な犯行が成立してしまうような現代、
ほんの瞬間とも言えるタイミングにキチンと
異を唱えないとそれは賛成したも同然と
とられる社会構造になってしまった。
インフラも整備され、あらゆることに便利になったはいいが
その分フツウに生活するにも一分の気の弛みも許されないという昨今。
これが望んでいた未来なのかと考えてしまう毎日ですが、
生きなければならない限り「生きている」ことを
サボらず証明し続けなければいけませんね。
Posted by: arata coolhand | 2011.07.01 12:22 PM
目の前に溺れている人がいたらば、どんな手を使ってでも助けようとするだろう。
自分は救助隊じゃないから関係ないと通り過ぎる人は稀だ。
手術をする時には、手術の意味と改善例そしてリスクも必ず伝える義務がある。聞く権利がある。
原発問題もきちんと実態を話すこと、聞くこと。リスクを含めて・・・
そして我々は考え、色んな事柄を学ぶこと。
「知らなかった!!」「反対!!」だけではすまされない現実が目の前にある。
こんな事態になって懸命にあがいている自分が恥ずかしい。。。
何を信じ、何を指針に歩むべきなのか。
何時でも、どこでもそのことについて話が出来る世の中にしたい。
原発賛成も原発反対も、まだ何も始まっていないに等しいのだから・・・
Posted by: kasaru | 2011.07.04 01:35 PM
■kasaruさん
身につまされるものに対しては
見なかったことにする。
聴かなかったことにする。
面倒なことには拘らず
煩わしいことは考えないようにし
のんびりゆったりと暮らす。
もしそれを今後も続けたいのなら
それらを当分封印し、事態に対峙するしかない。
それしか選択肢はないのに
それを受け入れようとしない人たちが
まだまだたくさんいるんです。
Posted by: arata coolhand | 2011.07.08 11:10 PM
、
FLat Houseの本を拝見しました。
私も自分でDIYリフォームをしながら
那須高原の別荘を作り変えて
住んでいました。
ところが、
福島原発のため、
岡山に自主避難しなければならなくなりました。
最近、とっても安く
小さな昭和の平屋を購入して
これから引越し
リフォームしようとしているところで
この本に出会うことができました。
いろいろと気が沈んでいましたが、
この本のおかげで少し力が戻ってきました。
ありがとうございます。
Posted by: しゅう | 2011.07.21 11:57 AM
■しゅうさん
そうですか。それはご災難でした。
でも、よくご決断なさいましたね。
さぞ、断腸の思いをなさったことでしょう。
書きましたように岡山には3年ほど
滞在経験がありますが、とても良い地でした。
気候も温暖、風光明媚、県民の文化度も高く物価も低い。
個人的にはとても良い決断をされたかと思います。
たくさんの友人が県内で店を経営しています。
いい人々なので、いろいろ楽しい話もできるかと。
ご希望であればお教え致します。
Posted by: arata coolhand | 2011.07.21 01:33 PM
アラタさん
早速のご返事、ありがとうございました。
お友達をご紹介してくださるとのこと、
よろしくお願いいたします。
そうそう、
僕は昔イラストレーターでした。
(今は水彩画家)
フラットの住人には
絵を描く方が多いようですね。
絵とフラット・・・共通しているのかな?^^
Posted by: しゅう | 2011.07.22 12:34 AM
■しゅうさん
私も平屋に移ってから筆の進み具合が
随分良くなったことを記憶しています。
・one day
http://blog.onedayrules.com/
・Launch A Rocket
http://www.tamatebako-web.com/ok/shop/04021/index.html
上記店の店主は在岡時代から現在まで付き合いの長い旧友です。
とてもいい人たちですので遊びに行ってみてください。
(弊誌も扱ってくれています)
Posted by: arata coolhand | 2011.07.27 01:01 PM