後悔、先に建たずぜよ
今月は前半に冷房を、後半には暖房を入れた。
なんじゃこりゃ。
このマコトにおかしき10月ももう終わってしまうが
二ヵ月後に晦日が来るとはどうも思えない。
夏がついさっきまで隣に居たというのに。
というワケで、前々回で最後に話した
「堅牢な家をわざわざ…」というおハナシを。
少し前の話になるが、梅雨明け間近に
友人と自転車でポタリングをした。
その際、近所にある古い外人向け住宅を見に寄った。
二階建てが1棟、それを挟むように平屋が2棟、
計3棟の木造住宅が並んで建っている。
築年数はパーツなどから見ておそらくどれも40~50年と
いったところだろうか、全棟造りが違っていてジツにそそられる。
潤沢な緑を湛え、周囲の建売り住宅とは出している空気が全く違う。
昨年この並びの存在を知ったとき、一番東側の平屋が空き家に
なっていたので内部を外から覗いたところ和室や玄関があったりと
我が家のような米軍ハウスとはまたひと味違うことが分かったが、
賃貸対象はやはり在日西洋人のようだった。
その後どんな人が入居したのか気になっていたのだが
イヤな予感が的中…。
緑がはぎ取られてむき出しになった地面の上で
パワーショベルが轟音を立てながらくるくる回り
廃材を砕いている風景に直面。愕然とした。
「ああああ~~~壊されている…」
産廃と化した家屋を満載したトラックの下でロープを扱いていたオヤジさんに話しかけると、笑顔で「次はこっちも壊すんだよ」と隣を指差した。
「ナニ~~〜ッッ!こっちもか!?」
よく見ると真ん中の二階家も
いつの間にか空き家になっているではないか。
心臓がバクバクし
アタマに血が上って来た。
昨年来たときは、東側の空き平屋の写真を撮っていた僕に
出かけかけていたクルマをわざわざバックさせて
「なぜ写真なんか撮ってるの?」と猜疑心ムキ出しで訊いて来た
よーく肥えたアメリカ人おかあちゃん一家が住んでいたのに。
ふーっと急襲されたのは倦怠感と寂寥感。しかし、こういうシチュエーションにももう慣れた。ここでぐったりしていても仕方なし、ならば少しでもこの家を残さねばという気持ちが湧き上がり建具などのパーツをサルベージしようという考えにアタマがスイッチ。こっちも成長した。
パワーショベルの運転席で休憩中の若い親方に尋ねると「どうぞ好きなだけ持ってって」という返答が。そりゃあ処理費用が減るわけだから解体業者としてもありがたいだろう。
ただし明後日から壊し始めるからそれまでにという。
我が家のドアを付け替えてくれたK君にもその場で
電話し急遽助っ人として参戦してもらうことにした。
そして翌日、とにもかくにも我々は解体屋への手土産の
ビールを携え昼前から家の中に入り物色を始めたのだが
…踏み入るなり再び絶句。
な、なんてイイ家なんだろう!!想像以上だった。
今こんな家を建てようとすれば相当な額がかかるだろう。
いや、もう建てられないに違いない。
ああ、これがすべてゴミになるのか…
そう、いつもそうだ。この順序で同様のことを想うのだ。
なぜこんなにいいモノを壊してチャチな新築を建てる??
ナゼこの愚行を誰も止めようとしない??
最後は必ずこの虚しい自問で終わる。
答えは解っている。
でも解ったって仕方のない答えなんだ。
やりきれなさと怒りに近い悲しみの中
僕らは建具を黙々と外して廻った。
20枚ほどのドアと窓ガラスが
我が家のストレージにねじ込まれた。
達成感などなかった。あるのは敗北感だった。
こういう建物がただ築年数の数字の多さだけで
「価値0円」と判断されるのであれば
近い将来日本から昭和のモダン建築は
完全に消え去るだろう。
後聞の話だがM社の仕業らしい。
いいか、目先のカネのために
バリバリ破壊し拙速な小屋ばかり建て、
数十年経って安普請の薄汚れた
ペンシル住宅ばかりになってから
ああ、昔の街並は良かった~なんて
嘆いても遅いのだぞ。
あわてて「あの素晴らしい街並を再現」
なんつってニセモノタウンをこさえても
遅いのだぞ。
早いところみんながこの宝物に正当な価値を
付けることを促さねば~という気持ちが
また胸の中にこぶしを強く握らせ
ある仕事の実行への導火線に火をつけた。
その青写真のお話はまた次回に。
あこれもこれもそこもここも…みんな壊され今はもうない。
写真の中にあるだけだ。
この家の詳しいことはいずれ本で語ることにしようと思う。
Comments
こんばんは・・・始めまして
TVを以前見せていただいた者です
私は関西在住です
20年前学生で2年ほど高円寺に住んでいましたが疲れてしまって実家へ戻って就職をしました
何の因果か東京出身の主人と出会い結婚し10年程経ちました、両親も老いが少々進み子供が小学校~中学校の間にそちらへ越すことを考えています
そしてまだ踏ん切りがつかなかった気持ちは朝の情報番組をみて和らぎました「あんなのんびりしたところで住めるならいいかな・・・」と
「俺らがいくころまで物件がうまくのこってたらええけどな」と主人・・・すっごく現実的な意見です
そうですね、壊されていく方向の物が多いんでしょうね
3年ほど先になると思いますが・・・その頃は、どんな景色になっているんでしょうか?それまでなんとか踏ん張ってください、微力ですが応援してます
Posted by: ミカヱルル | 2010.11.09 12:25 AM
コメントありがとうございます。
とはいえ私がやっている事も「微力」なんですよ。
「微力」を媒体によって「増幅」させているに過ぎません。
それは誰しもがちょっとした努力でできる事なんですよ。
関西でもやはり古い家はどんどん潰されているでしょう?
「開発」と言う名の破壊行為の犠牲は大都市圏ならば
どこにも無差別に広がっている事だと思います。
こちらにいらっしゃる前にそちらでできる事を
ゼヒなさっておいてください。
Posted by: arata coolhand | 2010.11.12 12:20 AM
はじめまして。
古平屋住まいの30代女性です。
建具を救済されたというお宅、ムチャクチャ良い家ではないですか!!
本が売れても、こういう家に実際住みたい・買いたいという人は、やはりマイノリティなのですよね…
私は、古い建物がお好きな不動産業者さんから情報をいただいたにもかかわらず、洋館を救えなかった経験があります。
「壊されるなら部材だけでも保管させてください」と言えず(やはり、人さまの家ですので)、非常に後悔…
その後悔がもとで、その後、かなりの無理をしてたまたま仲介NPOで見つけた古平屋を移築し、現在はローンでヒイヒイいっています…
あー、無力さが悲しい。
よろしければ、私のブログの4/20、5/31、8/11、9/21〜25あたりなど、ご覧くださいませ。
Posted by: 古平屋暮らし | 2010.11.23 09:51 PM
はじめまして。
FLAT HOUSE LIFEを読んで初めて米軍ハウスの魅力に気がつきました。
私も大和の米軍ハウスに住んでいるのですが、
去年越して来たばかりで「素敵な家だなぁ」くらいにしか思っていませんでした。
事情を抱えた引っ越しでしたので、早く住める所を探さないとという気持ちで辿り着いたのが今の家です。
しかし、それまで住んでいた都心を離れこの緑の多い家に移り住んでから家族もイライラする事が減ったように思います。
休日には庭いじりをして、友人達を招いてBBQをしたり、
親戚を招いて食事したり。
本当に人生を豊かにしてくれました。
そのありがたみをアラタさんの本を読んで、
「あぁ、そうだったのか」と気づかされました。
そしてこれから、もっともっとこの家を大切にしようと思いました。
このような素敵なお家を壊されてしまう事のないように。。。。。
Posted by: 三日月 | 2010.11.23 10:53 PM
こういう家ほしいな。
Posted by: sun | 2011.07.09 09:16 PM
■古平屋暮らしさん
ご返信遅くなりました。
そうですね。着実に増えては居るもののまだまだ古い平屋派は
新築戸建て&高層マンション派連合には全く届かないと思います。
ただ、ハウスメーカーはこの静かなる波に気付いている様子で
次のムーヴメントと捉え始めているようです。しかしながら
それをどのように新築に持って行くかが大きな課題でしょうね。
洋館、残念でしたね。でも、そういう時はズカズカ入って
行きましょう。業者に渡れば家は持ち主の手から離れ
ただのゴミと化します。誰のものでもありません。
持って行ってもらえれば廃棄料金も安く済むので
業者も案外協力してくれるものです。男性の僕らよりも
女性ならばもっと対応も良くなるはず。
ビールを手みやげに持参したりすれば
おそらく成立率は限りなく100%に近づくでしょう。
遠慮は禁物、勇気を出してどんどん行ってください。
「知る者が動け」です。
Posted by: arata coolhand | 2011.07.15 10:18 AM
はじめまして。
FLAT HOUSE LIFEを読んでこのサイトにたどり着きました。
この壊されてしまった家の写真を見て少し驚きました。
私の住んでいる家(平屋築50年)と全く同じ玄関です。
大谷石の暖炉も形は違いますけどあります。
もちろん現役で使ってますよ。
私の住んでいる地域以外にも同じ仕様の家が
まだ存在していたことを知って嬉しくなりました。
しかし・・・もうないのですよね・・・
残念ですね。
でも我が家は築100年を目指してがんばります。
Posted by: ボロ家暮らし | 2012.01.13 03:36 PM