相殺(そうさい)と約分
やっと涼しさが安定してきたかと思えば、
明日もまた真夏日がぶり返すという。
今夏の凶暴っぷりはあまりにヒド過ぎる思っていたら
ここ100年で一番暑い夏だったと言われ、しぶしぶ了承。
(って抗議したところで涼しくなるわけでもあるまい)
昔は夏が大好きだったのになぁ…
今では大嫌いな季節になってしまった。
「この暑さを冬まで蓄熱し、暖房として使えないものかな」と。
「冬の寒さも貯めておいて来夏の冷房に使えないかな」とも。
今のテクノロジーを持ってすれば
結構カンタンにできそうな気がするんだが。
どなたか実現させてくれないものですかねマジで。
そうすれば随分Co2を出さなくて済むようになるぞー。
3D TVや電子書籍なんてのはそのあとでいいんだから。
こっちを大至急。
といった具合に、相殺したり
約分したりすることで
随分いろいろな問題が
解決に向かうでしょうね。
例えば、よく言われるのが
スポーツジムのマシン。
ダンベルの上げ下げだって
あれで発電できそうなもの。
特にランニングマシンはベルトを
あれだけ回しているんだから
ヤル気になれば相当な電力を
生むはず。
ところが発電どころか
電気を食っている事実。
あれは確実にムダ。
最近ではマシン本体の電源だけは
賄えるものがあるようだが、
あれだけの多人数が運動して
いるのだから施設全体の
電力を賄うくらいまでできそうなものだ。
まあジム自体、美食で蓄えた贅肉を
わざわざ電気を使って落としている
わけだからどんだけムダなんだか。
(↑自分にも言ってます)
クソ暑い中、汗をぽたぽたたらしながらスーツを着込んだ
オジさんたちがエアコンをがんがん利かせるのもそう。
夏の日本列島はもう亜熱帯なんだからいい加減
会社員も服装を変えたらよかろうに。半袖&短パンにさあ。
カイシャで溜まるストレスをパチンコ居酒屋キャバクラで
発散→散財→働く→ストレス溜まる→発散→散財…
これもちょっと冷静に考えれば相当な悪循環だと判ろうに。
(というか無間地獄)
最近は通常になっちゃってる
「○○していただいてもよろしいでしょうか?」
という言い方も二重敬語。
本当は
「○○していただけますか?」でいいはず。
そのうち、
「「○○していただいてもよろしいでしょうか
とお伺いしてもよろしいでしょうか?」
なんてどんどん長くなって行きそうだ。
こういうのはキリが無いので早々にみんなで約分すべき。
そして極めつけはこれ。
堅牢に作られた昔の家を「耐震強度が足りないから」
と潰し、わざわざ外国で切り倒した樹木を燃料使って
運び込み、
でまたわざわざ安普請に建て直すという愚行。
昔の家はな、今の家の何十倍もいい材料使って
何十倍も腕のいい職人が造っとるのだ。ヘタなことすな!
と大工の棟梁が言うてました。
次回はそれにまつわる出来事をば。
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Comments
「機能」の決まっている「空間」を並べるムダ。
「空間」とは本来、何でもできる場所である。
そして、そこにいろんなものが飛び込んでくる。
「モダニズム」は色々なものをはぎとってゆく。。だから「モダニズム」には反逆する!
実際、人間の生活空間とは、流動的で複雑で、自由なものだ。
Posted by: モトハシ | 2010.09.25 11:56 AM
◆モトハシさん
「モダニズム」とは本来自然との乖離を押し進めるものでなく人がより豊かに過ごす沸点を下げるべきメソッドとして生まれたものと解釈していますが、今となってはその役目を越権し過度な開発の片棒担ぎのような位置に座らせられてしまったような気がしてなりません。
70年代に入ってこの語は一旦死に、80年代のポストモダンで蘇生、レトロブームに乗って完全復活したと見ていますが、現在ではその本意を離れ、一種の風俗的用語として受け入れられていると僕は解しています。
Posted by: arata coolhand | 2010.10.30 01:56 AM