僕にドアを見せてくれたレコード 【前編】
以前『人生の一枚』というタイトルでWEB用原稿を依頼されたことがある。
諸事情からオクラ入りとなってしまったのだけれど、それを2回に別けてアップ致します。
夏休み特別編としてご高覧ください。
(『撤去と修繕の日々』の続編は後日アップいたします)
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評価されないレコードがある。されにくいミュージシャンがいる。音楽、特にロックには「ミュージシャンズ・ミュージシャン」などという言葉があるように一般大衆には中々評価されず、玄人や一部のツウからしか支持されない作品がこの世には結構ある。映画などの総合芸術と違い、受け手の感性でその評価に大きな齟齬(そご)が出てしまうのは音楽=ポップミュージックの特徴かもしれない。
僕はいわゆる売れている音楽、現ヒットチャートを昇る音楽から何かをインスパイアされたりメンタルな部分を助けてもらったような憶えがない。(唯一ビートルズはビッグネームだが聴き始めた頃には既に解散していたので該当せず)いつも僕に何かをくれるのは商業的セオリーから外れたミュージシャンだ。
僕に新しいドアを見せてくれた最初の一枚は16、7歳 の頃に聴いた STIFFレコードの全英ツアーの様子を収録したアルバム『LIVE STIFFS LIVE』だったと思う。あの頃の僕はサワヤカなスポ根少年たちとは無縁ながらもそこそこ日々部活で汗を流し、帰宅すればビートルズやストーンズのアルバムを年代順に聴き掘るような極一般的なアブソリュート・ビギナーだった。
当時ロックの殆どは外来種、しかも洋楽の線引きが全く曖昧な時代で業界はクイーンやKISSなどを含む音の厚いハードロック系統ほぼ一色。専門誌でさえその他のポップはAORかオルディーズ、英国発はニュー・ウェイブと乱暴雑把に分別、パンクに到っては新種のファッションカテゴリーかツッパリ(関西でいうヤンキー)文化の変異種くらいにしか解釈されない実に偏見に満ちた貧しい時代であった。
そんな空気の80年代初頭の東京でセーシュンを過ごす少年時代の僕にとっても、このアルバムは実に判別・分類しにくいものだった。しかし、むしろそこが僕をくすぐった。今でこそSTIFFのアーティストはパブロック(これもジツに曖昧な呼び名)や初期パンクのカテゴリーに入れられるが、当時はどの集合体からも外れたようなまさにニッチな集団。そのせいか否か友人から「前向きにヒネくれている」と称された僕にとってはドンピシャストライクな一枚だった。
よく通っていた吉祥寺の輸入盤店で見つけたそのジャケットは不可解極まりなく、女性ファンとは縁が遠そうなエキセントリックなオッサンたちが笑みを浮かべて立たずんでいるだけの抜き写真スリーブに「何だこの人たちは?」と半笑いで手にしたのを憶えている。(ルックス云々する以前に、右端のイアン・デュリーに到っては完全に両目瞑っちゃってるし)何というかセールスを全く念頭に置いてないとでもいうか、当時のコンサバ派なら避けるお手本のようなレコードだった。
しかしメンツのスタイルがジツに独特で、ほぼPOPEYEからファッションリテラシーを学んでいた僕にとって強烈に新鮮でカッコよく映った。裏スリーブには裏地に出演者全員のサインがマーカーで乱暴に書きなぐられたライダース・ジャケット(しかもUK・AVIAKIT製!)が断ち落としで載っており、濃厚なR&Rのシズル感が匂い立っている。R&R経験値の低い当時の僕でさえ何か確信に満ち即購入してしまったくらいなのだから。
針を落としてみると、当時TVで流行していたUSA発の音楽番組でかかるビジネスライクなロックとは全く肌触りが違っており、それらが急にマヌケに聴こえるような愚直なまでのパッショネイトに溢れていた。そして「R&Rってのはさあ、こういうとこがイイんだろうよ!」と丁寧に教えてくれているようなある種誠実さを感じる一枚だった。
ホラ、よく居たでしょう、社会からはスポイルされているけれどコドモにとってはどんなオトナよりもリアルな存在の教師的ニンゲンが。まさにそんなフンイキを放つそのレコードはあっさりと僕の先生になり、同レーベルのレコ-ドを狂ったように聴き漁るのにそう時間はかからなかった。そして18歳の頃彼らのコピーバンドを始め、僕は次の10年をR&Rと過ごす契約を交わすのだった。
(後編に続く)
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Comments
はじめまして。突然のコメント失礼いたします。ふと思いついた検索でここにたどり着いてしまいました。昨年の日付の日記に、失礼いたします。
あの、とつぜんですが、かつて――20年ほど前に、下北沢の屋根裏で、フィンガークラッピンだけを伴奏に「噂の男」を歌っていらしたのは、アラタさんではありませんでしょうか?
友人の友人の…というような薄いつながりでその日のライヴを覗きに行って、「ものすごい格好良いものを観てしまった!」と大感動したのが忘れられず…。四半世紀近くもたったいまごろ突然思い立って、ぼんやりした記憶だけを頼りに検索を始めたのです。
違っていたら、ごめんなさい。
流してくださって結構です。
個人的なお話を振ってしまっただけですので。
お忙しいところ、たいへん失礼いたしました。
Posted by: 鍵盤ハモニカ | 2010.04.29 05:40 PM
はじめまして鍵盤ハモニカさん。
それは多分僕ではないかと~。
当時僕はThe Crusin' Publiesというバンドで
Nilsonの曲などをカバーしていました。
それを観ていた方がここに辿り着くというのも
また稀有なお話、非常に驚いています。
よくぞいらっしゃいました~~~
あの頃は音楽で独立することを目標としていましたが
今では執筆業で生計を立てています。
あの時はご清聴を、そして
今回はコメントをありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by: arata coolhand | 2010.05.05 12:22 AM