僕にドアを見せてくれたレコード 【後編】
それから20年近くが経ち、30を過ぎてからまた再びそんなレコードに出会おうとは思わなかった。
10年以上続けて来た音楽活動にも見切りがついてしまい、ここまで仲良く付き合ってきたはずのRockに半ば辟易(へきえき)し、一体何をどうしたらよいのか解らずにただいたずらに日々過ごしていた時期があった。そんな時聴いたロニー・アンド・ザ・デイトナスは意外にも僕の大きく欠けたエモーションを補完してくれた想いがけない一枚だった。
彼らも先述の評価のされないミュージシャンのニオイがした。赤いパーカ(中途半端な丈の)をそろいで羽織った4人の白人の若者が腕組みしてクルマに寄りかかっているスリーブ。そのイナたい風貌からアメリカの60年代のグループだと言うことはすぐ見て取れたが、こりゃ当時も大して売れなかっただろうという想像に難くないビジュアル。またもや右端のメンバーが目を瞑っちゃってるところが偶然だが、こいつも僕的には激しくくすぐられるジャケットだった。
よく遊びに行っていた国分寺の50'S家具や古着を扱う店のオーナーが、ある日店内で聴かせてくれたのが初聴だったのだが、アルバム『G.T.O』sideBの1曲目『Sandy』を聴いた時にはトリハダが立った。
ah~ah~とコーラスで始まる導入部は切ないセブンス・コードを多用、こいつにイキナリどこかに連れて行かれてしまう。どことなくビーチボーイズのブライアン・ウィルソン似アングロサクソン系お坊ちゃま風容姿のリードボーカル/ジョン・バック・ウィルキン(スリーブ写真左端)はルックス通りのまったり&ぽあーんとしたボーカル&コーラスワークを聴かせたが、西海岸のそれよりノスタルジックで乾いた印象があり(彼らはナッシュビル出身)ボサノバ風味のきめ細かなギターがジツに印象的。美しくも切ない、それでいて売れ筋オルディーズとは全く出身が違う耳触りの佳曲は、店内の空気を一瞬にして変えた。
音楽をナリワイにしようと一念発起、およそ10年勤めたカイシャを辞め、活動に注力したが結局挫折してしまったこの身にこのアルバムはやさしく深く浸透した(そう!今の音楽と決定的に違うのはカラダに染み入る速度と深度だ)。そして画描きとして生きて行こうとジンセイの交差点で大きくターンラウンドしようとする僕にヒントとバイタリティをくれた。今まで僕に強くサジェストしたレコードはドアを開け「さァ、さっさと外に出て何かを成して来い」と歌ったが、今回は静かに窓を開けて新鮮な空気を入れてくれたというカンジだった。
肉体労働と僅かな絵の仕事で日々を繰り返し、ワンルームマンションの一室でウツ気味スパイラルに陥っていた僕が、その後大きな森のある緑地公園脇に建つ古い平屋を探しあて、転居する決心をしたのはこのレコードの出会いと無縁ではなかった。精神的空気の入れ替えによってココロが幾分元気を取り戻し、緑の多い環境でアトリエを持とうという考えへ自然に誘ってくれたように思う。
「壁さえ抜かなければ何をしてもOK」という大らかな大家の直貸し物件に、契約の一ヶ月前から屋内に入り床を張り替えたりペンキを塗ったりセルフ・リノベーションを前倒しでさせてもらっていた時、まだひんやりとしたカラッポの家の中にはやはり『Sandy』が鳴っていた。「さあ奮い立て」とも「そのままでいろ」とも何とも謳わない、人々の興味からももすっかり外れた単なる古いラブソングが流れる空き家の中で、時にはこんな音楽に励まされることもあるんだなと黙々と刷毛を動かしたあの日からもう12年もの歳月が流れようとしている。
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