続・それは3月の所為
先月6日、退居前夜。
ご近所仲間や世話になった友人に来てもらい
「さよなら会」をやった。
僕のではなく、最後は「家」との送別会である。
なーに、ただお茶とお菓子でヨモヤマ話をするだけなんだけどね、
なんて言ったのは実は自分への牽制。
万感の想いが溢れて人前で涙なんか流さないようにしなければ
という懸念からなるべく大ゲサにしないように伝えた。
ただお菓子を拡げてお迎えするのも寂しいので
昔の写真を貼りだすことにした。
前倒しで屋内に入れさせてもらい
仕事そっちのけで作業した入居当事。
壁や建具を塗り替えたりしている様子を撮った写真や
並びの車庫付き平屋で友人と
ガレージセールをやっている写真
遊びに来てくれたたくさんの友人の写真を
引き伸ばしてリビングの壁にコラージュしてみたが
これが自分の首を絞めることになろうとは。
平日のため大方のメンバーは仕事が終わった足で来てくれた。みんな優しくて、こちらの勝手な思い入れに真摯に付き合ってくれた。
日付が変わる頃に散会。最後の友人を見送った後がらんとした屋内でひとりあと片付けを始めると、すっかり家具の消えた部屋の姿に内覧をした日の感覚が戻った。フシギなものでいつのまにか屋内が入居前のニオイに戻っており否応ナシに過去と対峙しなくてはならなくなってしまった。
この家に移ってくる時はまだアルバイトをしながら絵を描いていた。
昼間肉体労働をし、夜絵の仕事をする。苦しかったが充実していた。
その頃の生活のシーンや支えてくれた人たちの顔が次々に
思い出に乗っかってさっき貼ったコラージュから飛び出してくる。
やおら涙が出てきた。
ドキュメンタリー番組を観ても涙が出る体質なので
ある程度予測はしていたものの
どうしようようもないほど泣けて泣けて自分でも
笑いが出てしまうくらいの涙の流量は正直想定外だった。
たかだか引越しくらいでと思われるだろう。自分でもそう思う。
8年間住んだマンションからこの貸家に移るときは殆ど
感じなかった寂寞感が今回はなぜここまで押し寄せるのか
自分でも理解に苦しむ。
きっとそれだけここでの生活は深いものだったのだろう。
禍福はあざなう縄の如しというが、フリーとして
自立できるようになったここでの生活はまさにその極み。
自分の人生の中でもことさらエポック的で
強烈なコントラストの10年間が
この家を出る今夜終わろうとしている。
3月は別れと出発の季節。
それを痛感した一夜だった。
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