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February 2009

2009.02.23

タナトスの仕業

大抵ブログというものは年が明ければ早々に
皆さまに向かって新年のご挨拶なぞをするものなのでしょうが
年末から仕事にかまけているうちに寒中見舞いの時節も
とび越しすっかり春めいて来てついには
スギ花粉お見舞いになってしまいました。
こんなシェフの気まぐれブログですが
今年も気長なお付き合いよろしくお願い致します。


今年で手塚治虫が逝去して20年が経つ。

節目の年のためか最近彼の特集を組む番組が多い。
氏の話をし出せば思い入れの山のような文章になって
収拾がつかなくなってしまいそうなので今回はあえて
深く触れないが、生前の映像を見るたびに
「お世話になった大恩人だなぁ」という感慨にふける。


とにかくひれ伏してしまうのがその天文学数的な仕事量。
それに質の高さも付いて来るわけだから
世界のあらゆる芸術家と比較しても凌駕を極めている。

我を忘れて仕事をしている生前の姿などが映ると
なんて自分の手は遊んでいるのだろうといつも恥ずかしくなる。
同じニンゲンなのになぜこんなエネルギー出力の差があるのかと
しばらく考え込んでしまう。

それにしても昨年から今年にかけて、どうしたというのだろう。
タナトスがあの世の人材補強を行ったのか
はたまた天国で大きな人員整理があったのか
大勢の才覚ある人々が召されて行った。


3


■ポール・ニューマン/享年83歳

年齢から言えば大往生だが、実に惜しい人物を失くした。数年前、完全引退をしたかと思われるほど姿が見えなくなっていた彼が深夜の海外ニュースにピエロの姿で映っていた。往年の大スターである事は言うまでもない。wikipediaでご検索頂ければ彼の輝かしいキャリアは一目瞭然。その彼がピエロの格好をしながらボランティアで全米の施設まわりをしているという美談的トピックスだったのだが、その時ニューマンが吐いた一言にちょっと震えた。

「僕らのような金持ち白人がもっと他人のために何かすべきだ」
人はなかなか自分の社会的アドバンテージを認めたがらないものだ。金持ちは心では思っていても社会の目を気にして「俺は裕福だ」「私は資産家だ」とは決して言わないだろう。特にアメリカの白人と黒人の二層格差社会ではそんな発言は自殺行為に等しいに違いない。しかし彼はそれを認めた上で発言しメディアに姿をさらした。もう往時の面影はなく、ピエロの格好をした小さな老人だった。

因みに僕のリングネームである「クールハンド」は彼主演のニューシネマの名作 『Cool hand Luke』(邦題「暴力脱獄」)から頂いている。

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■デイブ平尾/享年64歳

ザ・ゴールデンカップスのヴォーカリスト。1960年代前半、日本の音楽シーンはまだまだ未成熟で海外産ポップスの上にそのまま意訳和訳をのっけて吹き込むスタイルが主流だった頃、横須賀本牧に本格的なROCK・R&Bを演奏する若者たちが出現した。それがデイブ平尾率いるザ・ゴールデン・カップスだった。

横須賀市本牧にあるクラブで米兵相手に演奏、その店名から取って命名されたザ・ゴールデンカップス。混血児の多い土地柄で生まれたこのバンドのメンバーは殆どがハーフだったがデイブ平尾はそんな彼らを統率し、デビューさせヒットチャートに引っ張り上げ、アマタのG.S(グループサウンズ)バンドが消えてゆく中約10年バンドを守り続けた。

ボーカルと言うポジションから看板でもあったが個性の強い混血メンバーをまとめていた影の功労者でもあった。
日本ロック史を語る上で外すことのできない偉大なミュージシャンのひとり。G.S全般が理解できなかった20代の頃の僕でさえGカップスの彼のあの「歌いっぷり」の大ファンだった。もしかしたら今年お会いできたかもしれなかったのだがそれも永遠に不可能となってしまった。


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■赤塚不二夫/享年70歳

「私もアナタの作品のひとつです」というタモリ氏の弔辞があまりに有名になり、年末の特番では何度もそのシーンが使われていたが、確かに彼の言葉から氏を知らない人でもその人となりが大方理解できたのではないだろうか。言わずと知れた手塚治虫直系漫画家の巨星だがトキワ荘時代は売れない時代が続き苦汁を舐めていたことはあまり知られていない。

僕は5歳の頃兄の持っていた『おそ松くん』で赤塚マンガデビューを果たし、夢中になってその後の少年期を共に過ごした。ただ、世に言われる破天荒なギャグよりも彼の描く貧しくても活き活きとした昭和的生活が垣間見える作品が好きだったことに随分大人になってから気づく。

中んずく、一話完結の『ヒッピーちゃん』という女の子が主人公のマンガが大好きだった。彼のキャリア上では数少ない少女漫画誌に掲載された作品にして隠れた名作。『レッツラ・ゴン』の遺伝子に繫がる赤塚氏「愛あるブラックギャグ」が炸裂の作品だった。

フーという名のノラ猫を連れて街から街へと伝わり歩く素性の知れない女の子ヒッピーちゃんが時にやさしく時にイジワルにたくましく生きてゆく姿をヒョウヒョウと描いた快作。一話5ぺージ足らずの短編集なのだが、実に歯切れよく物語が紡がれていてニンゲンの喜怒哀楽がまことしやかに織られている。一巻だけだがこの一冊で氏がどんなに秀でた構成力・表現力の持ち主だったかが見て取れる。

そういわれてみれば僕とて彼の作品かもしれませんセンエツながら。


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■福田繁雄 /享年78歳

このブログを少しづつ書いていた矢先に訃報を知った。日本のエッシャーという異名をとっていたトリックアートの巨匠だがデザインとは何かを一般の人々に知らしめる活動に尽力するなど日本のグラフィックデザイン界の功労者でもある。

当初マグリットやエッシャーのような騙し絵的なグラフィックが作風だったが70年代に発表した別方向から見ると全く違う形に見えるオブジェや80年代に発表した金属のガラクタに光を当てるとシルエットがバイクや恐竜に見える立体アートが脚光を浴びる。NHKクイズ番組「クイズ面白ゼミナール」の「?」型トロフィーや朝日新聞のTVCMに使われていた新聞を広げる人のオブジェ、瞬間接着剤アロンアルファのCMといえば覚えている方も多いのではなかろうか。

10年ほど前に明治公園のフリーマーケットで見つけ予算不足で購入を見送ってしまった福田氏のカップアンドソーサー2客は現在悔やまれてならない一品。


■広川太一郎/享年68歳

俳優・声優・ナレーター、まさにエンターティナーという呼び名にふさわしい御仁。

「アーノルド・パーマー傘マークか、なーんてオ~バ~」「きら~ん☆」「なーんて言っちゃったりなんかしてェー」などの独特造語を極めて切迫したマジメなシーンにスッと挿入させてしまう独自の吹き替えをした。こんな「広川節」のファンは僕の周囲にも多かった。


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70年代の『ゲバゲバ90分』80年代の『おれたち、ひょうきん族』といった蒼々たるお笑い番組に影響を与えた英国BBCのコメディ番組『モンティ・パイソン/空飛ぶサーカス』のエリック・アイドルの声が広川氏。彼の当番組への貢献度は高く、彼がいたからあの番組は伝説となったと言い及んでいい。

アラン・ドロンやロジャー・ムーアといった二枚目の吹き替えもこなす広川氏。とにかくこの人の吹き替えは硬軟共に最高だった。唯一無二!


一説によれば、人間は2度「死」を迎えるのだという。
一度目は肉体の死。
そして二度目は生きている人々の記憶からの抹消という死。

その人のことを憶えている人間が誰も居なくなることで
その人は完全なる死を迎えた事になるという。
この話を聞いた時、冷静にヘコんだ。

しかし肉体が残した『作品』で未来永劫人々の
脳裏にその姿を残すという方法が人間にはある。

人は素晴らしい。


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