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April 2008

2008.04.07

最大級のリスペクトをこめて

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みなさんは『洋服の並木』という店をご存知だろうか~
趣味性の高いオーダーでも一着概ね3~4万円というリーズナブル価格で仕立ててくれる、東京は世田谷区にあるテーラーである。ロウ・バジェットの割りには細かなディテイルの注文にも応えてくれ、ロック・ミュージシャン達の間では衣装作りの基本&老舗として認知されている。かけ出しの時分に先ずここで一着つくるのが慣例、あまたのスターたちが若き日にここのオヤジさんにサイズを測られているのだ。

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実はワタクシ、その『洋服の並木』で一番最初に狭Vゾーンの3ツボタンスーツ、いわゆるMODSスーツを仕立てた一人。

遡ること20数年前の80年代半ば、当時よく一緒にスクーターでツルんでいた友人Mくんが見つけて来て「ちょっとのぞいてみようぜ〜」という軽いノリで行ったのが最初。 どうやらかなり細かい部分まで言うことを聞いてくれるらしい、というのでデコレートしたスクーターで出かけた。

「小田急線・梅ヶ丘駅にある」と聞いたとき、母校である都立高が同駅にあったので周辺のことは大方想像がついた。そのため最初は駅前にあった『バルコン/ナミキ(現ナミキ洋服店)』という同名のチェーン店風テーラーの事が頭に浮かんだ。

今でこそここもタイトなスーツを仕立てているようだけれど、当事はウインドウに「このタイプの中からお選びください」というようなPOPと共にイラスト化されたパターンが大きく掲げられていたので、こちらの言うことをそんなに聞いてくれるとも思えなかったし、MODライクな洋品店らしさなど微塵も見えなかったので「あの店がねえ〜」と不思議に思った。

よくよく話を聞いてみればやはり別の店舗と判明、駅から少し離れた街道沿いに同名店があるのだという。まったくややこしい話なのだけれど、それで間違えたお客も後に随分居たんじゃないかとも思う。駅前を抜けると「並木」と漢字表記の店が見えた。お世辞にもキレイとは言えない佇まいと、無秩序に積み上げられた生地の山にちょっと引いたのを憶えている。

店内に入るやいなや、生地山の向こうに演劇にでも使うのか?というような面白いディテイルのスーツがたくさん吊るしてあるのを発見。が、音楽のニオイのするものは無くあからさまに矢区座なカオリがするものばかり。なかんずくグレーのマオカラーの長尺スーツが目を惹き、「これはどんな人が着るんですか?」と尋ねると「あ、それは右翼のです」と淡々と即答、その調子に小さく爆笑。どうやら顧客のほとんどは「ソノスジ」の方々ばかりのようだった。 が、話しているうちにオヤジさんの気さく加減についつい意気投合、後日一着オーダーする運びとなったワケである。

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その頃並木のオヤジさんも、MODライクな極細シルエットスーツの仕立ては未経験だったようで、写真集やレコードジャケットなどを持って行ったりしていろいろ説明し手探りでの制作だったが、その割にはとてもうまく仕上げてくれた。当時はジャストセンス&ジャストコンシャスの既製品などまだまだ入手困難だった時代だったし、バブル前の物価で3万円を切った価格設定だったと記憶、かなりの満足度であった。しかし何よりも、一般的なテーラーとのコラボレーションで当事はまだまだカルト文化だった60'S的アプローチを実現させたこと自体に心地よさを感じていた。


■↑これがその一着。映画『さらば青春の光』で主人公ジミーが着ていたモノを目指し、似た生地を探した20歳当時。どんなものが出来るのかと日々ワクワクしたのを思い出す。


ある夜、『新宿JAM』の前でGIGが跳ねた後スクーターにまたがりながら駄弁っていると、雑誌ライターを名乗る男数人に声をかけられ名刺を渡された。聞けば月刊PLAYBOYのフォトセッションとやらで、どうやら写真を撮られるだけでいいギャラがもらえる様子、即決で取材協力することに。

撮影後オヤジさんに「今度並木で仕立てたスーツ着て小泉今日子と雑誌に載りますよ~」と電話報告するも「あっそうですか」とそっけない返事。でも後日遊びに行くと切抜きがレジ横にポツンと貼ってあったのを目撃。ある日オヤジさんが居ない時、奥さんから「すごく喜んでいましたよ」と聞きソコハカとなく嬉しくなったのを憶えている。

■レジ横に貼られていた切抜き。キョン2の背後右から2番目が筆者。またがっているスクーターも僕の。MODのクイーンという設定の割にはトンチンカンなカッコで入場して来たため「違うよコレは」と爆笑したらちょっと泣きそうになってしまった彼女。いやいやアナタには非はないんだって(笑)腰も低く「可愛さ爆発」なとてもイイコでした~↙


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数ヵ月後、弟分のY氏にせがまれ連れて行ったのだが、数年後には彼がシーンのフェイス的存在になったため、それから東京のMODたちにじわじわと拡がったのではなかっただろうか。 十数年前に僕がTheピーズのハル氏に紹介するや、彼経由でその後ミッシェルガンエレファントらバンド連中に伝わり浸透、ブレイクしたんじゃないのかと(飽くまで私見)。そうそう、デビュー当時のスカパラも全員並木で揃えたのは周知の事実、1stジャケットの裏に大きくクレジットが入ってますね。


数年前、先述のThe Minnesota VooDoo Menのメンバーを連れて行った際、約20年ぶりにオヤジさんと涙の再会。忘れずに憶えていてくれて、とても丁寧にご挨拶いただき更に感激。当時はまだ半分コドモ扱いされていたため、大人に対する挨拶をもらっただけで感激ひとしお。

そして「まだありますよ」と僕が当時書いた注文表とサイズ表を出してきてくれたのには仰天動地。ひとしきり思い出話をした後、20歳当時とどのくらい体系が変わっているかサイズを測ってみましょうという事になり計測、すると当時と殆ど変わっていない事が判明、非常に感心されました(←このあたり今回のポイント)


それからまた更に4年の歳月が経った昨年末、イキナリ並木のオヤジさんからおデンワが。 いつもの飄々とした口調で(←ご存知の方々はお解りかと) じきじきにオファーを頂戴。内容は60S系カルチャー誌の1P広告の制作だとか。 ・・・ガキの時分にお世話になった方から仕事のご依頼。 ありがたいじゃあないですか(涙)。 納期など詳細は後日連絡との約束をし電話を切った。

しかしそのままほったらかしにしていたら、来るはずのおデンワが一向に来ない。打ち合わせの日取りすら決まっていないもので、いよいよ心配になりそのまま店に突っ込んで行ったところ、イヤな予感は的中、締め切り超間近が発覚!やっぱり・・・もうお願いしますようオヤジさん(泣笑 )

打ち合わせは店先での立ち話。これまで作ったお客さんのスーツ姿の写真を見せてもらったり(知人友人が沢山いて笑えたなァ)こちらの作品集を見せたりしながら話すこと30分、帰り際やっぱり飄々とした例の調子で一声「もう全部おまかせします」 。このコトバ、実は一番困るのである。そう言うオファーに限って上げてみた後「やっぱり違うなァ~」なんて事がよくあるからだ。でもそんなこと言ってる時間もなく雑誌に穴あけちゃあイケナイってんでとりあえず帰って超特急で上げましたですヨ(もちろん最大級のリスペクトをこめて)。


で、ギャランティの額はって?
帰りしなにオヤジさんに尋ねられ、こちらもこう申し上げました。

「もう全部おまかせします」


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Namiki

■ポイズン・エディターズ発刊『SIXTIES MAGAZINE Vol.3』に掲出中です。

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