2009.06.08

撤去と修繕の日々

大家とは「設えたものは全て撤去して出る」という
約束を何となく交わしてはいた。
何となく、というのは入居時に明言されたり契約書に書かれて
いたわけではなく、日々の大家との会話で
何となくにおわせられていたという意味だ。

元をただせば不動産屋仲介ナシのオーナー直借り物件の
信頼関係で交わされたようなユルユル賃貸契約だった。
それゆえ口約束だ、とブっちぎって逃げてしまう事だってできた。
しかし、それをいい事にこれまで荒らしっぱなしで踏み倒すように
出て行く借り手が結構いたという嘆きもよく聞かされていた。

特に法人契約していたアメリカン・スクールの米国人教員に
そうして行く者が多かったという。出て行った後ドアを開けてみたら
柱がイヌにかじられ鉛筆の先みたいになっていたこともあったとか。
「旅の恥は掻き捨て」とは英語で何というか知らないが
そういうことをしておいて平気な顔でご帰国なさったらしい。

こうした恩を仇で返すようなことを重ねることで
人は人を信じなくなり持つ者の警戒心・規制を強くさせてしまう。
世の中をつまらなくするマトリクスだ。

入居の際家賃を負けてくれたり、集合住宅では
とても不可能と思われるわがままをあれこれを黙認してくれた。
そういう良心的な大家に、そんなことだけはすまいと思い
引越し後1ヶ月の猶予期間をもらってその間に全てを撤去することに。

しかしそれが今回の引越しの中で一番の心身の負担になった。


先ず、バルコニーの撤去。2坪分はあった。
引越し直前にリサイクルショップで見つけ
購入しておいたチェーンソーを出動させる。

旧型品だったので事故のないように取説書をキッチリ読んだが
念のため近所のDIYショップに持参すると刃の緩みを調整してくれた。

緩んだまま使うと危ないというのは取説書にも明記してあったが
その他いろいろとレクチャーしてくれたのでオイルのほかに
振動を緩和するという専用グローブを購入した。
人情とはそういうものだ。


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一日でやるのは不可能と思い新居から数日通い分け少しずつ片付けることにした。思いのほか出た廃材は少しずつ持ち帰って処分に出したり元ご近所に頼んで少量ずつ振り分け可燃ごみの日に出してもらった。

そして一番大変だったのは植木の処分だ。カイヅカイブキという高さ2mほどの樹を40本強。家の周囲を囲むように植えたのだがこの撤去には時間がかかった。幸い根っこを真下へ張る性質の樹だったので横への掘削は回避できたが一日2~3時間かけて少しずつ根を緩めても2週間ほどかかった。

↑■友人らに手伝ってもらい作った思い出のバルコニーを曇天の日に独りで壊す。チェーンソーの振動は思いのほかカラダに響いた。

サスガに抜き終えた樹の処分は素人には困難で
以前手入れをしてくれた業者S氏に有償で頼んだ。

根を掘る作業そのものも去ることながら
生樹の生命を剥いでゆかねばからないというのがとてもキツかった。
この撤去作業全工程を終えてみて思ったこと、それは
「モノを破壊する作業は作るよりもココロの疲労が大きい」ということだ。
数日後会う友人会う知人「ヤツれたねえ」と言われた。
「痩せた」ではなく「ヤツれた」と・・・(泣)

そして新居に戻れば修繕&掃除のあれこれが待っていた。
「生きるとはハンザツな作業の繰り返し」とだれかが言っていたが
何だか戦場に独りで居るような戦々恐々とした気分になっていた。
しかし、ここでスバラシイ助っ人が現れたのだ(つづく)

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■すっかり植木が無くなった周囲。疲労感しか残らなかった。いくら約束とは言え正しい選択だったのか甚だ疑問。本当に抜樹すべきなのか大家にもっと粘り強く問いかけるべきだったと全て抜き終えたあと激しく後悔。


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2009.05.30

そして、『占領軍住宅』へ

「ああ、S原だけどね、来月ウチの並びのハウスが一ツ空くってさ」
10年ぶりの転居は年初に来た知人S氏からの電話で始まった。

1


ハウスとはいわゆる『米軍ハウス』のこと。ご存じの方も少なくないとは思うが、第二次大戦後米軍が日本を極東アジアの軍事拠点と位置付けした際、政府に依頼し駐在兵士のために大量に作られた民間の借り上げ住宅をいう。

正式にはDependent House/占領軍扶養家族住宅というらしいが
ワレワレの間での通称は『米軍ハウス』。
70年代に入ってベトナム戦争が終結に近づくと軍備も縮小、
それに合わせ駐在兵士が続々と引き上げていったため
必然的にそれらは余り、次第に日本人に貸し出されて行った。

それらに住み着いたのがミュージシャンだったり写真家や画家だったりしたため70年代の日本のカウンターカルチャーの舞台装置として大いに機能し、その後クリエイターやアーティストの憧憬の発信基地として語り継がれていった。

しかし10~15年前辺りから老朽化や家主の代替わりによる取り壊しが著しい。住むのならそろそろ本気で探さないと、いうのが昨今のハウス事情だ。


S原氏はそんなハウスに30余年前から住む隣町の住人で、フリーになってから通うようになった平日の公営プールで知り合った御仁。自宅で英会話教室を営んでおり奥様はイギリス系米国人。ひとり娘のAさんはアメリカンスクールの卒業生、宇多田ヒカルとは同級で当事よく家に遊びに来ていたらしい。

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この20年、東京・神奈川・埼玉の米軍ハウスを山ほど見て来たが
僕の知る限りでは一番東に位置するハウス郡で以前から気になっていた。
ただ、2ブロックに渡り11棟ある同オーナー所有ハウスは
どこも滅多に空かず、空いた瞬間すぐ埋まるという
まさに逃げ水のような物件だった。


そこが一棟空くという。
どうやら前住人の退居はこの大不況に起因する様子。
よく「不況の時こそチャンス」と言うが、それが引越しというカタチで来るとは。
とりあえず空いたらすぐ内覧を希望する旨をS氏に伝えた。

2月に入ると前住人が退居、職人が入って壁を塗り替えたり
修繕したりと化粧直しを始めたため内覧が可能になった。
我が家からクルマで10分足らずというロケーション、早速見に行くことに。


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「おお~!いいねえ!!」一歩踏み入れたとき思わず独りごちた。

リビングの広さは今まで見て来た物件の中でもベスト3に入る。その奥に見えるキッチンは現居のリビング以上あるのではないか。また、木製の窓枠やドア、塗装の剥げた床、旧型のシンクやトイレなど古いパーツがそこここにグッド・コンディションで残っているというのがイイ。

広々した庭もあり屋根はないまでもゲート付きガレージも。この広さならうまくやれば2台停められそうだ。

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しかし、それでもなかなか決断できないものである。

2日ほど悩んだが、前住人が住んでいるときに一度外から見たことを思い出した。長さの合わないカーテンの隙間からてらてらと灯された真っ白い蛍光灯がのぞいていたため、ああ~もったいない住み方をしているなァとため息が漏れてしまった。


最終的にはその時のため息の思い出が背中を押した。この家をまたあんなふうに住まわれてはかなわん!という気持ちがむくむくと首をもたげ、その瞬間入居を決めた。そしてその瞬間から3kgもやつれたジゴクの引越し劇が始まるのである~(あーやだやだ)


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そして入居から3ヶ月。移った当初は季節もまだ初春、冬の名残で寒かったがもう初夏。庭に敷いた芝生もしっかりと根付き出し、当初は居心地の悪かったリビングのだだっ広さにすっかり慣れた自分に驚いている。

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2009.04.11

続・それは3月の所為

先月6日、退居前夜。
ご近所仲間や世話になった友人に来てもらい
「さよなら会」をやった。
僕のではなく、最後は「家」との送別会である。

なーに、ただお茶とお菓子でヨモヤマ話をするだけなんだけどね、
なんて言ったのは実は自分への牽制。
万感の想いが溢れて人前で涙なんか流さないようにしなければ
という懸念からなるべく大ゲサにしないように伝えた。


ただお菓子を拡げてお迎えするのも寂しいので
昔の写真を貼りだすことにした。
前倒しで屋内に入れさせてもらい
仕事そっちのけで作業した入居当事。
壁や建具を塗り替えたりしている様子を撮った写真や
並びの車庫付き平屋で友人と
ガレージセールをやっている写真
遊びに来てくれたたくさんの友人の写真を
引き伸ばしてリビングの壁にコラージュしてみたが
これが自分の首を絞めることになろうとは。


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平日のため大方のメンバーは仕事が終わった足で来てくれた。みんな優しくて、こちらの勝手な思い入れに真摯に付き合ってくれた。

日付が変わる頃に散会。最後の友人を見送った後がらんとした屋内でひとりあと片付けを始めると、すっかり家具の消えた部屋の姿に内覧をした日の感覚が戻った。フシギなものでいつのまにか屋内が入居前のニオイに戻っており否応ナシに過去と対峙しなくてはならなくなってしまった。


この家に移ってくる時はまだアルバイトをしながら絵を描いていた。
昼間肉体労働をし、夜絵の仕事をする。苦しかったが充実していた。
その頃の生活のシーンや支えてくれた人たちの顔が次々に
思い出に乗っかってさっき貼ったコラージュから飛び出してくる。


やおら涙が出てきた。
ドキュメンタリー番組を観ても涙が出る体質なので 
ある程度予測はしていたものの
どうしようようもないほど泣けて泣けて自分でも
笑いが出てしまうくらいの涙の流量は正直想定外だった。


たかだか引越しくらいでと思われるだろう。自分でもそう思う。
8年間住んだマンションからこの貸家に移るときは殆ど
感じなかった寂寞感が今回はなぜここまで押し寄せるのか
自分でも理解に苦しむ。

きっとそれだけここでの生活は深いものだったのだろう。
禍福はあざなう縄の如しというが、フリーとして
自立できるようになったここでの生活はまさにその極み。
自分の人生の中でもことさらエポック的で
強烈なコントラストの10年間が
この家を出る今夜終わろうとしている。

3月は別れと出発の季節。
それを痛感した一夜だった。

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2009.03.31

それは3月の所為

卒業や異動など「別離」と「出発」が交錯する月回り。
そんな3月も今日でもう終わり。

昨秋から募っていた隣家に今月やっと入居者が越してきた。
ブログからすっかり有名になってしまったブサイク猫の飼い主である友人O氏夫妻宅の食事会で出合ったDJを生業とする若者。
厳ついルックスとは対照的な物腰と礼儀正しさにとても好感が持てたので、間借り生活から脱出するための部屋を探していると聞くにつけ平屋に住んでみないかとスカウトしてみた。前のめりの反応にそのまま帰りがけに案内すると、マンションにはない内装やフンイキにすっかりノックアウトされた様子で、3日後には入居決意の電話が来た。

今まで内覧しに来た人々はみな交通アクセスの悪さや設備の不備などを理由にパスしていったが、自転車しか持っていないと言うのに彼はそんなことものともせず決意。開発を間逃れ現存している古い平屋には大抵そういうデメリットはセットなもの。だからこそ今日までタイムスリップしたかの如くのんびりゆったりと残っていると言える。彼のように鈍感に住み始めた者だけが味わえる甘い果実、それが古い平屋物件なのだ。そして僕のように永年住み着いてしまう事になる。

でも3月はいい。
何かがゆっくりと終わって何かがゆっくりと始まろうとする胎動の季節。
どっち着かずの曖昧な感じもいいし、陽が明らかに長くなり始めるのもいい。

その季節に同調するわけではないが
今度はこちらが引っ越すこととなった。


(つづく)

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2009.02.23

タナトスの仕業

大抵ブログというものは年が明ければ早々に
皆さまに向かって新年のご挨拶なぞをするものなのでしょうが
年末から仕事にかまけているうちに寒中見舞いの時節も
とび越しすっかり春めいて来てついには
スギ花粉お見舞いになってしまいました。
こんなシェフの気まぐれブログですが
今年も気長なお付き合いよろしくお願い致します。


今年で手塚治虫が逝去して20年が経つ。

節目の年のためか最近彼の特集を組む番組が多い。
氏の話をし出せば思い入れの山のような文章になって
収拾がつかなくなってしまいそうなので今回はあえて
深く触れないが、生前の映像を見るたびに
「お世話になった大恩人だなぁ」という感慨にふける。


とにかくひれ伏してしまうのがその天文学数的な仕事量。
それに質の高さも付いて来るわけだから
世界のあらゆる芸術家と比較しても凌駕を極めている。

我を忘れて仕事をしている生前の姿などが映ると
なんて自分の手は遊んでいるのだろうといつも恥ずかしくなる。
同じニンゲンなのになぜこんなエネルギー出力の差があるのかと
しばらく考え込んでしまう。

それにしても昨年から今年にかけて、どうしたというのだろう。
タナトスがあの世の人材補強を行ったのか
はたまた天国で大きな人員整理があったのか
大勢の才覚ある人々が召されて行った。


3


■ポール・ニューマン/享年83歳

年齢から言えば大往生だが、実に惜しい人物を失くした。数年前、完全引退をしたかと思われるほど姿が見えなくなっていた彼が深夜の海外ニュースにピエロの姿で映っていた。往年の大スターである事は言うまでもない。wikipediaでご検索頂ければ彼の輝かしいキャリアは一目瞭然。その彼がピエロの格好をしながらボランティアで全米の施設まわりをしているという美談的トピックスだったのだが、その時ニューマンが吐いた一言にちょっと震えた。

「僕らのような金持ち白人がもっと他人のために何かすべきだ」
人はなかなか自分の社会的アドバンテージを認めたがらないものだ。金持ちは心では思っていても社会の目を気にして「俺は裕福だ」「私は資産家だ」とは決して言わないだろう。特にアメリカの白人と黒人の二層格差社会ではそんな発言は自殺行為に等しいに違いない。しかし彼はそれを認めた上で発言しメディアに姿をさらした。もう往時の面影はなく、ピエロの格好をした小さな老人だった。

因みに僕のリングネームである「クールハンド」は彼主演のニューシネマの名作 『Cool hand Luke』(邦題「暴力脱獄」)から頂いている。

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■デイブ平尾/享年64歳

ザ・ゴールデンカップスのヴォーカリスト。1960年代前半、日本の音楽シーンはまだまだ未成熟で海外産ポップスの上にそのまま意訳和訳をのっけて吹き込むスタイルが主流だった頃、横須賀本牧に本格的なROCK・R&Bを演奏する若者たちが出現した。それがデイブ平尾率いるザ・ゴールデン・カップスだった。

横須賀市本牧にあるクラブで米兵相手に演奏、その店名から取って命名されたザ・ゴールデンカップス。混血児の多い土地柄で生まれたこのバンドのメンバーは殆どがハーフだったがデイブ平尾はそんな彼らを統率し、デビューさせヒットチャートに引っ張り上げ、アマタのG.S(グループサウンズ)バンドが消えてゆく中約10年バンドを守り続けた。

ボーカルと言うポジションから看板でもあったが個性の強い混血メンバーをまとめていた影の功労者でもあった。
日本ロック史を語る上で外すことのできない偉大なミュージシャンのひとり。G.S全般が理解できなかった20代の頃の僕でさえGカップスの彼のあの「歌いっぷり」の大ファンだった。もしかしたら今年お会いできたかもしれなかったのだがそれも永遠に不可能となってしまった。


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■赤塚不二夫/享年70歳

「私もアナタの作品のひとつです」というタモリ氏の弔辞があまりに有名になり、年末の特番では何度もそのシーンが使われていたが、確かに彼の言葉から氏を知らない人でもその人となりが大方理解できたのではないだろうか。言わずと知れた手塚治虫直系漫画家の巨星だがトキワ荘時代は売れない時代が続き苦汁を舐めていたことはあまり知られていない。

僕は5歳の頃兄の持っていた『おそ松くん』で赤塚マンガデビューを果たし、夢中になってその後の少年期を共に過ごした。ただ、世に言われる破天荒なギャグよりも彼の描く貧しくても活き活きとした昭和的生活が垣間見える作品が好きだったことに随分大人になってから気づく。

中んずく、一話完結の『ヒッピーちゃん』という女の子が主人公のマンガが大好きだった。彼のキャリア上では数少ない少女漫画誌に掲載された作品にして隠れた名作。『レッツラ・ゴン』の遺伝子に繫がる赤塚氏「愛あるブラックギャグ」が炸裂の作品だった。

フーという名のノラ猫を連れて街から街へと伝わり歩く素性の知れない女の子ヒッピーちゃんが時にやさしく時にイジワルにたくましく生きてゆく姿をヒョウヒョウと描いた快作。一話5ぺージ足らずの短編集なのだが、実に歯切れよく物語が紡がれていてニンゲンの喜怒哀楽がまことしやかに織られている。一巻だけだがこの一冊で氏がどんなに秀でた構成力・表現力の持ち主だったかが見て取れる。

そういわれてみれば僕とて彼の作品かもしれませんセンエツながら。


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■福田繁雄 /享年78歳

このブログを少しづつ書いていた矢先に訃報を知った。日本のエッシャーという異名をとっていたトリックアートの巨匠だがデザインとは何かを一般の人々に知らしめる活動に尽力するなど日本のグラフィックデザイン界の功労者でもある。

当初マグリットやエッシャーのような騙し絵的なグラフィックが作風だったが70年代に発表した別方向から見ると全く違う形に見えるオブジェや80年代に発表した金属のガラクタに光を当てるとシルエットがバイクや恐竜に見える立体アートが脚光を浴びる。NHKクイズ番組「クイズ面白ゼミナール」の「?」型トロフィーや朝日新聞のTVCMに使われていた新聞を広げる人のオブジェ、瞬間接着剤アロンアルファのCMといえば覚えている方も多いのではなかろうか。

10年ほど前に明治公園のフリーマーケットで見つけ予算不足で購入を見送ってしまった福田氏のカップアンドソーサー2客は現在悔やまれてならない一品。


■広川太一郎/享年68歳

俳優・声優・ナレーター、まさにエンターティナーという呼び名にふさわしい御仁。

「アーノルド・パーマー傘マークか、なーんてオ~バ~」「きら~ん☆」「なーんて言っちゃったりなんかしてェー」などの独特造語を極めて切迫したマジメなシーンにスッと挿入させてしまう独自の吹き替えをした。こんな「広川節」のファンは僕の周囲にも多かった。


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70年代の『ゲバゲバ90分』80年代の『おれたち、ひょうきん族』といった蒼々たるお笑い番組に影響を与えた英国BBCのコメディ番組『モンティ・パイソン/空飛ぶサーカス』のエリック・アイドルの声が広川氏。彼の当番組への貢献度は高く、彼がいたからあの番組は伝説となったと言い及んでいい。

アラン・ドロンやロジャー・ムーアといった二枚目の吹き替えもこなす広川氏。とにかくこの人の吹き替えは硬軟共に最高だった。唯一無二!


一説によれば、人間は2度「死」を迎えるのだという。
一度目は肉体の死。
そして二度目は生きている人々の記憶からの抹消という死。

その人のことを憶えている人間が誰も居なくなることで
その人は完全なる死を迎えた事になるという。
この話を聞いた時、冷静にヘコんだ。

しかし肉体が残した『作品』で未来永劫人々の
脳裏にその姿を残すという方法が人間にはある。

人は素晴らしい。


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2008.10.27

人生のストキャスティクス

世界経済は実体経済金融経済
2層で構成されている。

後者は信用経済とも呼ばれており
数字や約束上のやり取りの中で
成立しているいわば二次元上の経済。

しかし時にコイツが実体経済に非情な悪さをするワケです。

で、1ドルが90円台に。
92年に渡米した時確かちょうど100円で、
その後円安が続き「あの時は随分と使いでがあったなあ」と
回想したのがe-bayを始めた6年ほど前。


ちょうど友人1名がN.Yにレコードの買い付け&DJを
しに行ってるようだが、実にタイムリーだったな。

ユーロも平行して下がっているようだから
燃油サーチャージなどバジェット面から海外旅行を
見送っていたような人は今かもしれないですな。


旅に出かけるならお供にはぜひトラベラーズノートを!
というわけで、先述のデザインフィル社広告第二弾、掲載開始です。
例によって和光大学広告に続くオール手描きなので、
結構目立つかと思います。

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余白の少ない広告は昨今の雑誌において定石となった見開き「記事→広告」or「広告→記事」というページネーションからすると組み合わせが難しいんだとか。

それだけに、対ページにどんな内容のものを各誌が持って来るのか、という点もまた楽しみのひとつでさあね(笑)今回は【英国編】で、自らの体験を基にして描いています。


下記のスケジュールで掲載されますので
書店にお寄りの際はゼヒチェックしてみてください~

●10/24  『GQ JAPAN』
●11/1  『BRUTUS』『Pen』
●11/10 『Coyote』
●11/15 『リアルデザイン』『BRUTUS TRIP』

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広告部分。これだけをリーフレットにし取扱店に
POPと共に並べるようです→

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2008.10.01

某女性からの依頼


昨冬、ある女性がイキナリ無地のキャンバス製
トートバッグを差出し「これに何か描いて」と言い放った。

出たよ、「ちょっと描いて」。
困るんだよなあこういうの。
医者に知人がいても「ちょっと治して」とは言わんでしょうに。
(中でもよーく言われるのが「似顔絵描いて」。
俺は針すなおじゃないっつうの)

こういう依頼はすべてお断りしているんだが
こちらの依頼には毎度キッチリ対応&仕事も早い彼女、
「いつになるか解らないよ。締め切りは無期限だからね」
と言ってとりあえずは預かった。

こういうのはホント、生活のストレス。
ノーギャラだからといえ職業にしているわけだから
ゾンザイに描くわけには行かない。
そこで紙袋に放り込みクローゼットに
投げ入れしばらく忘れたフリをした。
こっちも日常の仕事があるわけだからね。


しかし職業的サガなのか、仕事が混んでもしばしば思い出してしまう。
いったい何を描いたものかとふとした時に思案してしまう自分。

どうせ描いたらあちこちで見せびらかすに違いない。
で、時間差で「見たわよ~」などとウワサが
まことしやかに廻ってきたりするんだろう。あーもうそれがイヤ。
モチベーション全く上がらじ。


それから数ヶ月が経過・・・


8月某日、すっきりと目覚めた朝があり
片付けちまおうと思い立ち午前中に一気描き上げた。
下描きナシの一発勝負。


結果、結構楽しんで描いてしまったのはやはり職業病か。
あ、これ見て「アタシにも!」は受けられませんからね。
オフクロのだから仕方なく描いたんであって。


SIDE A
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聞けば絵画スクールの画材を入れるんだとか。
親戚や同スクール生のオバちゃんたちから
「アタシもー」と来そうなのが怖くてビクビクしてます。

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SIDE B→

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2008.09.09

淋しいのはおまえだけじゃない

というタイトルのドラマがあった。

80年代の初頭だっただろうか、
まだドラマが新人タレント売り出し用ツールではなく
観る側がそこにリアリティとアイデンティティを
強く期待していた時代の作品で
西田敏行や財津一郎、河原崎長一郎といった
演技派俳優たちが当たり前のように多数出演していた。


夏の終わりのこの時季になると僕はムショウに淋しさをおぼえる。
これは子供の頃からで、十代の多感な頃は半ウツのようになったりした。

最近は夏が激暑化して来たことも手伝って、
年齢と共に秋の清涼感が楽しみになるようになっては来たが
それでもふと寂しさを感じる瞬間がある。

以前いたたまれなくなってこの話を誰かにした時、
それはニンゲンが進化以前冬眠をしていた頃の名残で
とてもプリミティブなことなんだよ、と説明してくれた人が居て
ひどく安心した記憶がある。


秋葉原の例の事件後しばらくは
「通り魔的無差別殺人が増えた」とたくさんの報道番組で
幾人もの○○ニストさんたちがチャートボードを振りかざしながら
口角泡を飛ばしているところを見たが
結局のところ「なぜなのか解らない」と言う以上の
言及ができる者はだれもいなかった。


ここのところTVやラジオをつけると
キミは独りじゃないよ、僕は私はここにいるよ
いつもあなたのそばにいるよ
といった類のなだめすかしソングがやたら耳につく。


僕はこういう曲とそれを歌う人に
激しい嫌悪感と猜疑心を無条件に持ってしまう。

「そんなふうに言うのならば、おまえは
聴き手全員のそばに居てやれんのかね?」


そんな不可能なことをあたかもしているかように
本来なら個人から個人に対して語るようなことを
不特定多数に向けて救済するかのように歌うのは
メディアの波及力・影響力というものをまるで無視した
無責任な行為だ。

もしこの歌を耳にした人の中に
社会に対して激しく疎外感を持つ若者が居たならば、その中から
「みんなには居ても俺・私のそばに居てくれる人なんか誰もいやしない」
と、取ってしまう者がいたってフシギではない。
それはむしろ彼らのココロの闇を深め憎しみを加速させる行為で
ムダに肥大した絶望感をアジテイトしているのに等しくはないか。


人は本来淋しいものなんだ、ひとりなんだ、
淋しいのはおまえだけじゃないぞと歌う方がよっぽど良心的だ。

もし本当に渇いた人にコトバを送りたいならば僕ならそう歌うだろう。
そこを基点に物事を考えれば、感じなくてもいい疎外感を
抱え込み悩む人間は減るように思う。

もちろん人はひとりでは生きてゆけないなんてことは今更言うまでもなく明らかだ。
でも、皆な誰かといつも重なり合って繫がりあっていなくてはいけない
そうでなくては誰からも愛されていないに等しいなんていうことはない。
そこが理解できていればそんな幼稚な脅迫観念からは開放されるはずだ。

世の中って、まるで淋しいことが罪であるかのように言う。
けど、淋しいことは決して悪いことだけではない。
人はひとりで凹んだときにこそ、
いい詩やいい曲やいい画
素晴らしい作品をカラダからひねり出すことができる。


現代には淋しさをごまかす道具がたくさん売られている。
どの商品もひとりぼっちは淋しいでしょうと謳って並んでいる。

携帯電話やゲームを駆使すれば
淋しい誰かとにわかに繫がり
淋しい自分と向き合わずに済む。
ああいう歌もごまかしツールのひとつに過ぎない。


しかし携帯メールで慣れ合い相手を呼び出したところで
エセソウルソングを聴いてその場「癒され」てみたところで
それはうつろな自己麻酔、本質の先送り。
決してそれで何かが埋まるようなことはない。
ただ、ものを生み出す意欲を鎮火させ
創造力と自律を失ってゆくだけだ。


ノドの渇きを癒すために
コップを満たしてみたところで
注いだものが砂では
飲んでも癒えることなど決してない。


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2008.09.03

PANTS IT UP!


Tシャツはたくさん作ったので、この度はその下を作ってみました。
そう、下着ですパンツですボクサートランクスです~

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今回お手伝いいただいたのはアニモ・アンダーウエア社 【animo underwear】実は一昨年隣人宅に遊びに来ていた彼の友人が同社のプランナーで、お客さん来訪時恒例の「我が家裏緑地ピクニック」をし意気投合したのが今回の発端。

アニモ社はジツに軽いフットワークでさまざまなパートナーと次々に斬新なパンツをリリースしているのだけど、デザイン在りきの粗悪品ではなく履き心地はvery well。ちょっといいお値段ではありますがその分品質にはこだわっている様子。


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同じ生地を使用してのTシャツ&キャミソールのプロトタイプ制作が現在進行中です~そちらもお楽しみに! 

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メンズとレディースの展開ですハイ。(サイズ、取扱店詳細についてはanimo社HPをご覧ください)

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2008.08.04

無責任と貧困のループ


公園で座ろうとしたベンチ下にコンビニ弁当やファストフードのカラが押し込まれているのをしばしば見かけるでしょう?(+ペットボトル、コーヒーの空き缶とかね)にしてもどうしていつもあんなふうに放擲(ほうてき)されているのはコンビニ弁当やハンバーガーの容器なんでしょうかねえ。自家製おにぎりの竹の皮包みなぞついぞ見たことがない。

このアジェンダをある日友人と考察し、結果ひとつの解答を得た。「そもそもゴミをきちんと持ち帰る人はコンビニ弁当やファストフードなどは食べないのではないか」という逆説である。言い換えれば「食に対して意識の高い人は社会的マナー遵守率も高いのではないか」ということでさらに裏返せば「エチケットに欠けた人ほどコンビニ弁当やファストフードで済ませる傾向にあるのではないか~」という仮説。もちろん偏見も例外もあるだろうが、ひとつの状態理論としては面白い。


後日それと似たようなニュースをテレビで見た。テレビ番組視聴と所得率の関係性の世論調査で、「報道番組を見る時間は、所得が高ければ高い家庭ほど長く、低ければ低い家庭ほど短い」という結果が出たというのだ。

昨今のニュース番組のワイドショー化の問題や一部のヤラセ報道の議論は別にして、社会動向に興味をもたない家庭がいわゆる格差社会の底辺層に多いという事実は興味深い。情報収集速度がある意味勝敗を分かつ現代社会ではありうるアルゴリズムだ。


CO2を多く排出する業務=タクシー運転手や外回りする営業マンが誰よりも一番エンジンをかけっ放しにしてカーエアコン全開で昼寝をする。海から一番糧を得ている漁師が一番海にタバコを投げ捨てている。速く情報を得なくてはならない低所得者が一番その情報から遠いところに居る。本来一番知らねばならない人がもっとも関心に薄い。


コンビニ弁当を常食している人こそ添加物の多い食品はほどほどにした方がいい人、と言えなくもない。
ファストフードでは摂るべき栄養素が摂れず、脳内分泌物が減少し想像力・判断力・忍耐力が落ち、短絡的・直情的な行動を取りやすくなってまた手軽な食に走ってしまうという悪循環があるのかもしれない。一番凍えている人々がもっとも火から離れた場所を選んで生活しているかのようだ。


先述の調査結果にはもうひとつオマケがある。ニュース番組を観ずに育った子供の約8割は大人になっても観ないという。ということは低所得者層の貧困は子に連鎖し、未来永劫貧困から抜け出られないということになるのだろうか。

そういう自首自縛がまことしやかにループする現在の社会。ワレワレはこんな小さな自己矛盾たちからすらなかなか開放されないでいる。

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