2022.06.25

新連載のお知らせ


2015年から足掛け5年、福岡のタウン情報誌《シティ情報Fukuoka》に連載していた『再評価通信/Revival Journal』は、とても自分の執筆感覚と相性がよく大事にしていたコンテンツでした。

連載終了の翌年まとめ本を出した後も、まだまだ書きたいことがたくさんあったのにとふつふつとしていたところにパンデミックが到来。ようやく収束の兆しとなった今年4月、『再評価通信』のセクエルを扱ってくれる媒体を本腰を入れて探そうとしていた矢先、月刊《Lightning》の編集者Mさんから取材のご連絡が。

お会いした際にコラムの話もしたところ「面白そう!」と乗ってくださって、あっという間に連載が決まりました。そういえばシティ情報の元編集長Kさんの時もこんな感じでスピーディだった記憶。運のよさ・タイムリーさには自分のことながら毎度愕かされます。

しかしコラム名は変えて欲しいとのこと。うーん、じゃあどんなのにしようかなあと考えていたところ、Mさんからこれでいきましょうと言い渡されたのがこのタイトル。Lightningといえばラギッドなコンテンツで知られる古豪のメンズライフスタイル誌。その中にあって随分とヤワラカなタイトルだけど…とやや心配に。

しかし題字を描いているうちに、おや、ちょっと50〜60年代の洋画の邦題みたいで悪くないんじゃない〜という気分になり、描き終える頃にはこんな語感のタイトルは自分じゃ思いつかなかったろうなと感服。著作では毎度文章以外の写真やイラストも手がけていますが、本は独りでつくっているにあらずと改めて痛感した次第です。


そのフンイキ通り同誌のマニッシュなコンテンツ群にあって、ちょっと毛色の違う休憩室のような役割のページになればと思っております。『古いものと暮らしてます!』、ユルユルとご期待ください。

 

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2022.02.14

次のドアにノブは付いているか

 

「名声やカネではない。ただ本当のことが知りたかっただけだ」

昭和40年代後半、コンピューター付きブルドーザーと畏怖された大物政治家 田中角栄の金権構造を、緻密な取材と卓越した執筆力ですっぱ抜いたジャーナリストの故・立花隆は当時そう言い放ったそうだ。もちろん前者がなくていいと思うはずはなかろうが、それより後者が勝っていたということなんだろう。そうだ、僕らはずっと「本当のことを知りたい」と思っていたはずだ、何ごとにおいても。


インターネット社会になり、概ねのことは瞬時に調べがつくようになった。デジタルネイティブの子供たちが青年期を迎え始めた昨今、若年世代のソーシャルにおいてそれは何ら不思議なことではないことは今や周知だが、ほんのちょっと前までは知りたいことは図書館や公文書館などへ身体ごと移動し、全身を使って得るしかなかった。

イラストレーター駆け出しの頃、受けた絵の発注の中にアルマジロがあったことがあった。もちろん今ならネット検索で済むことだが、当時はまだ携帯電話さえ持っておらず、クルマで図書館まで調べに出かけた。

短時間で済ませばと、建物脇の通行量の少ない道に停車。当時はまだパトカーがチェックし次の巡回までに動かしていなければアウトという、やや優しいものだった。またそこは滅多に車が通らないので無料パーキングのような道路だった。何冊かの動物図鑑を借りて小走りで戻ったところ、なんとサイドミラーには例の黄色い「輪っか」が(40代中盤以上の方はご存知かと)しっかと回されていた。

そんなことをもちろん彼らは体験していないだろうし、似たようなことを体験した世代だって今や思い出したところでせいぜい経った時間の長さを嘆く自分が待っているだけで、何の意味もないことだと知っている。というか、そんな時代を思い出す行為すら今となっては忘却の彼方かもしれない。

 

 

 

しかし「本当のこと」はどうだろう。依然としてこれは渾々沌々、よく判別がつかないのではないか。

ネット検索を駆使すればある程度それめいたものをいくつか取り寄せることはできるだろうが、それは「本当そうな情報」に過ぎない。結果これだと行き着いた答えという名の部屋の中には、誰かの手による屏風絵があるだけだったりする。ネット空間にはそんな小部屋がいくつもある。しかし「本当」などそんなものなのかもしれない。

しかしその屏風絵を見たからには、僕たちにはその是非を決める義務が生まれてくる。いろいろなことが手軽に知れるようになったと同時に、これが本当ですと提示されればそれを一旦は受け取らねばならない。そんなことを繰り返すうちに、それ以上向こう側を見に行く気力も失せ、想像することもパスするようになってしまった。

何もしていないのに何もかもし尽くしてしまったような茫漠とした気持ちが人々を包み、本当のことを知ったところでどうせ何も変わらないとすっかり「知」に対して億劫になってしまっているように見える。なのに人々は、まだどこかにそそられる「興味」は残っていないかと、家で外で昼夜問わず小窓のスクリーン上を上下左右に指を動かしているのだから。矛盾撞着である。

 

携帯化したデジタルデバイスの普及やネット社会を腐すつもりは毛頭ない。弊害よりもベネフィットの方が大きいことは前世紀の自動車社会の到来と同じく、なにより自分だってその恩恵に随分とあずかっているのだから。

しかしこれは意外なことだ。ジョージ・オーウェルの書いたビッグブラザーは影の支配者などではなく、進んで小窓装置を買い求めた僕たち自身のエモーションの中にいたということか。

真実を握りしめたいとザ・ブルーハーツは『未来は僕らの手の中』でそう歌った。あれから40年近く経った今、僕たちはまだそう思っているのだろうか。今本当に知るべくは、おそらくそこではないか。

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2021.04.25

リモート講義の意外性

 

各地で3度目の緊急事態宣言が相次ぐ中、打つこと前提で進んでいるワクチン接種は本当に安全&必要なのかという話がここのところの友人との鉄板議題。しかし明確な答えはナシ。

そんな中での23日の九州大学の講義『デザインリテラシー/文化とデザイン』もリモートに急遽変更。自宅リビングからのテレ登壇となった。顔がわかるナマ講義の方が断然面白いのだが、今回に限ってはリモートというスタイルが案外功を奏した面もある。暮らしの中の再評価というテーマ上、実物を持参しての登壇予定だったのが、自室からの生中継ゆえよりたくさんのモノも見せることができたのは不幸中の幸い。

ほかの先生からの合いの手や学生からの質問にも「それはこれですね」という具合に仕事部屋から物を取ってきて返答することができ、話に拡がりが出たこともなかなかステキな誤算だった。

*

60〜80年代を彩った品々=トランジスタラジオ、LSIゲーム、コンサートチケット、カルチャーマガジンなどなどは、今やすべてスマートフォンに集約されてしまった前時代の遺品。それら実物とフラットハウス再生の写真は、エキサイティングだった時代はデザインとともにあったことを学生たちに雄弁に語ってくれたはず。

それにしても後半の質疑応答はよかった。コロナ禍を含めこのカラーレスのような時代に対し、今の10〜20代も疑問を抱いていることが垣間見られ、こちらも大いに考えさせられた貴重な時間でした。(K先生、M先生、今回も大変お世話になりました )

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2021.03.31

この10年で

 

震災から10年目の3月が終わろうとしている。

3年半ぶりの更新がこの内容であることには
本当にやるせないのだけれど
毎年3月が終わるとあっという間に
報道量が減ってしまうことには強い懸念を覚える。
それは僕だけではないと思いたい。

 

先日ドキュメンタリー番組で福島第一原発の廃炉作業が
この10年でどこまで進展したかをやっていた。
結論から言えば、状況は依然として絶望的。

相当困難であるだろうことはもう当時から言われていたが、
それでも予想を上回る遅延具合に改めて愕然とした。

メルトスルーした3棟の建屋には、それぞれ核燃料が溶けて
周辺の設備を巻き込み固まったデブリと呼ばれる固体が溜まっている。

その取り出しが福一の廃炉作業の主眼だ。
これを取り出せねば建屋内部の本丸には近づけない。
近づけないから取り出さねばならないのだが
放射性物質が強過ぎて近寄れない…という
まるでマンガのようなジレンマがあそこには
真顔で横たわっている。

デブリは推定で880トン。
この10年で取り出せたのはたったの0.02gだという。
もう一度言おう。状況は依然として絶望的だ。

 

ではいったい何が進展しただろう。
ひとつ顕著なことが思い浮かぶ。それは
ものを言うことが以前より難しくなったということだ。

これは進展というより後退というべきだろう。
恣意的なスティグマ貼りが極端化してきた
ということでもあるようにも思える。

もちろん平成以前は無整理・無頓着にものが
言われ過ぎたきらいがあったということは解っている。

しかしそれはその分なにかの力に臆することなく
大多数の人が意見をいえて、どんなセンテンスも
「人の考え」として捉え、なんらタブー視しない
空気が「通常」としてあったということでもあった。

これはなにか意見を言えばひどい目にあった大戦下から
人々が学んで構築した空気だったはずだ。

ここ10年でモラハラやパワハラという言葉が社会に定着し、
差別や言葉による暴力に対して非常に敏感になった。
このこと自体は弱者や被害者の救済につながる良いことだ。

だが一方で、そうとも言えないことにまでそれを適用させ
自分あるいは会社にとって不都合な相手の排除や
社会の空気をコントロールすることに利用するといった
「方便」化するケースも増えてきたのではないか。


最近は、各地の原発を再稼動させようとしている空気が
いろいろな角度から感じ取れるようになってきた。
また原発の必要性についての議論を
しにくくさせようとしている雰囲気も
五輪の決定以降じわじわと復旧してきた感がある。

原発事故の追求は「被災地への侮蔑だ」「風評被害を煽る」といい
稼動の可否の議論をタブーにさせる動かしたい人々の思惑というものが
うまく先述のロジックを利用していたりしているのを感じる。

 

10年経っても未だに触ることがやっとのデブリが
途方もない量残っている。当然その処理方法も
決まっていない。汚染した冷却水も同じく。
何も解決していないのになぜ動かすことができようか。

 

「風評」とは根も葉もない噂話のこと。
これは「風評」でもなんでもない、「事実」だ。

10年目の3月が終わろうとも
臆さずに語り続けねばならない義務が僕たちにはある。
そしてこれは当分続く。




 

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2017.08.14

《FLAT HOUSE in Kyushu》 発刊のお知らせ

去る7月15日、FLAT HOUSEシリーズの新作《FLAT HOUSE LIFE in Kyushu》が書店に並びました。企画が生まれてから5年もの歳月が経ち、ようやっとのリリース。その間に転居が2回、暮らし方も随分変わりました。今見直すとこの5年の間のことがいろいろ思い起こされ、九州との二拠点生活にちょうどシンクロすることからもさながらクロニクルのような一冊となった感です。

ここで本書「はじめに」を一部リライトしたものを掲載します。

*


 さかのぼること今から5年前の2012年10月、編集プロダクションのFさんという男性からメールが届いた。某出版社が平屋の本を出したがっているので監修してくれないかという内容だった。ちょうど《FLAT HOUSE LIFE vol.2》の入稿が迫っていたので、それが終わったらお話伺いますと返信した。校了が終わった12月初旬、JR中央線/国立駅北口でFさんと出版社のKさん2名を買い替えたばかりのキャンパーに乗せた。Fさんは小柄でにこやかな男性だったが、袖口からちらりとトライヴァルのタトゥーを覗かせていた(後で総合格闘技をやっているということが判明)。Kさんは目鼻立ちのはっきりした色白の女性で全身真っ黒な服で固めていた。想像と全く違うキャラクターのお二人だったが、このイメージギャップというのも楽しいものである。

コンロでお茶を沸かしながらご依頼内容をおさらいし、著者として関わる方ことで手打ち。しかし他社から既刊と同じ内容で出すならばコンセプトを変えねばならない。そこでFさんから「地方の平屋事情というのはどうでしょう」という提案が出た。ちょうど西日本への転居も考え始めていたので、取材は住みながらじっくりできる。にわかにその案が現実味を帯びて来て、その方向でまとまった。その後福岡と東京の2拠点で生活することが決まり、かくして新刊は《FLAT HOUSE LIFE 九州版》に決定する。

とはいったものの、既刊に比肩するレベルの平屋がどの程度あるのかの確証もなく、そもそも取材にどのくらいの時間を要するのかなどなど皆目見当がつかないことだらけ。しかし、初めて住む九州はあらゆる点で「未知数」で、その分期待も大きかった。関東でも関西でもない独自の文化を築く九州には、予想もしないような面白い物件が必ずや待っているはずと、パースペクティブは暗くなかった。またその「未知数」に賭けることは九州で暮らすことへの強い動機付けにもなるし、転居後のライフワークになるだろう「古平屋探訪」にひとつミッションを与えてくれるものと大いに仰望した。


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かくして13年夏、二拠点生活を開始。在福中は住まいの周辺を極力探訪した。暮らしてみれば何ということはない、平屋は少なからずあった。九州でできた友人からの紹介や、読者からの情報によって見られた物件も。おかげで転居から4年の間に十数棟のFLAT HOUSEの取材を終わらせることができた。そればかりか今では空き平屋の改修や再生を仕事にするまでにも至っている。改めて九州の“手つかず加減”には瞠目するばかりだ。

地価が低いため持ち家が多いのも九州の特長だが、関東のFLAT HOUSER同様古い物をこよなく愛し大切に使うような住人たちばかりで、住処にもその精神が反映されていることはいわずもがなである。また今回特筆すべきはシリーズ初のセルフビルド平屋の登場だ。そして筆者が改修に関わった米軍ハウスのリノベート前後比較も初の試み。明るくて大らかな人柄の九州人が暮らすFLAT HOUSE全10棟をじっくりご堪能いただきたい。


というわけで、書店にお立ち寄りの際はぜひお手に取ってご覧になってみてください。
橙色のビタミンカラーのカバーに九州の白抜きが目印です。


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2017.07.08

2017/7月イベントのお知らせ

春〜初夏は新刊の執筆と追取材で家に籠っていることがほとんどだった。
今年の九州はからっとした晴天が多く、良い季節に屋内にいた感があり
短い人生のウチの少ない好天日を棒に振ったような気持ちになっていた。

しかし、書いたモノが本となってでき上がって来るとそんな気持ちも
キレイに反転、また秋があるよと前向きになる。

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というわけで新刊『FLAT HOUSE LIFE in Kyusyu』が今月中旬リリース。
それに伴って今月はトークイベントが関東/九州で3本開催致します。

■7月8日(土)
東京都立川市/ガレリアサローネ

【FLAT HOUSE meeting】第4章《2拠点平屋交互生活のススメ》
この会場は拙著『HOME SHOP style』掲載の《ヨリミチ》の店主が結婚を機にスピンアウトして始めたカフェで、FLAT HOUSE meetingを一番開催しているホームグラウンド的な場所。今回は初めて話すエピソードながら、個人的には今もっとも論じたいアジェンダです。具体的な話と動画が他章より多く、かなり見応え聴き応えある回となる予感です。

会場の詳細はこちら ↓
http://bit.ly/2uU7U1S

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■7月22日(土)
神奈川県藤沢市/湘南蔦屋 T-site

【FLAT HOUSE meeting】第1章+FLAT HOUSE LIFE in Kyushu
数少なかった神奈川エリア且つ初の湘南開催。以前からお誘いいただいていたのになかなか叶わなかった会場でのトークです。ここでは第1章に九州FLAT HOUSEの動画を絡めてお話しする予定。また、施設内には原画やこれまで手がけたプロダクトの展示もしていますので併せてどうぞ。

会場の詳細はこちら↓
http://real.tsite.jp/shonan/event/2017/06/-flat-house-meeting.html

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■7月30日(日)
福岡県福岡市/旧大名小学校:スタートアップカフェ・イベントスペース

【九州大学ソーシャルアートラボ公開講座】
アートを読みかえる~フラットとリアルの思考~

「社会を読みかえる」をテーマに、アートを「世界の見え方や関係性を変える仕掛け」と捉えアートと社会の関係性をあらためて問い直す、九州大学ソーシャルアートラボ公開講座の第2回目に登壇します。ここも初の会場で、天神博多のど真ん中。ちょっと難しく感じられるかもしれませんが、FLAT HOUSEでの暮らし方をアートとして捉え直すという面白い試みで、僕もどんなセッションになるかとても楽しみです。モデレーターは九州大学大学院芸術工学研究院教授、作曲家の藤枝守氏。エディターの小崎哲哉氏もご登壇します。

会場の詳細はこちら↓
http://www.sal.design.kyushu-u.ac.jp/h29_lecture.html

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立川ガレリアサローネは当日のご案内になってしまいましたが、予定がキャンセルになった、偶然近くに行く用があるなどという方はぜひお立ち寄りください。ご来場をお待ちしております〜


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2017.05.17

ジョーによろしく

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大学時代、学祭にデビュー前のブルーハーツを呼んだとき彼が観に来てくれていた。前座のような形で演った僕らの演奏も観ていたようで、ステージ後スゴく良かったと真剣な顔つきで話しかけて来てくれた。笑うとちょっとヒロトに似ているその男はイワタと名乗った。こちらは洋服の並木であつらえたエンジの玉虫スーツにLOAKのタッセルのルードボーイスタイル、イワタはキャスケットにレザージャケットを羽織りクリーパーシューズといったUKロッカーズスタイルだった。

「よかったら聴いて」とカセットテープを手渡された。スリーブにメンバーの紙焼き写真が入っていて「The STRUMMERS」と書いてあった。ザ・クラッシュのボーカリストの名前をそのままバンド名に据えるとは、随分とまあ大胆な名前をつけたもんだなと内心思ったが、本人がジツに爽やかな人柄でそれはむしろ純粋さと潔さの表れなんだろうと解釈した。

ギグ(ライブではなく)にも誘われ観演しに行ったこともあった。確か渋谷Lamamaだ。こちらは60Sモッドバンドやパブロックのカバーバンドだったのに対して彼らはすでにオリジナルを演っていた。当時の曲は初期パンクというより何か劇曲のように感じた。クラッシュを期待して行ったため正直あまりピンと来なかったが、今思えばあれこそが彼のオリジナリティ・独自性だったのだ。

その後よく連絡を取り合うようになり、三軒茶屋の彼の下宿によくスクーターで遊びに行った。そこで何時間も音楽やロックトライブ、それに関するファッションの話をした。彼のガールフレンドの話なんかもよく聴かされたっけ。

僕が就職してからは疎遠になってしまい、ライブはやっているようだくらいの認識しかなくなってしまっていたある日、TV番組のエンディングに彼らの曲が使われていたのを見て、お!デビューしたか!とちょっと嬉しくなった事を覚えている。以降、情報は得ていない。

 

ジツはつい先日荷物の整理をしてたらその時のカセットテープが出て来て、しばらく写真を眺めて懐かしんでいたところだった。メジャーデビューした後どこかで一度だけ会っていたかもしれないが、記憶が曖昧だ。奇遇にも「そうだ、イワタは元気でやっているのかな」と思っていた数日後の訃報。つくづく思い立ったらすぐ人には会っておくべきだと痛感した。岩田美夫のような男とはもう二度と出会えないだろう。

こんなふうに突如鬼籍入りしてしまった友人知人がここ3〜4年で何人もいる。今回も腑に落ちない気持ちでいっぱいだが、ヤツのことだからきっとジョーに屈託なく話しかけ楽しく話をしているんだろうなァと考えることにして、送りたい。


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2017.04.20

《FLAT HOUSE LIFE》復刊のお知らせ

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2009年に上梓しました『FLAT HOUSE LIFE 』、そして12年に上梓しました『FLAT HOUSE LIFE vol.2』は、出版元の事実上の消滅に伴い4年もの間絶版状態にありました。その後幾度となく復刊の話も浮上したものの寸でのところで立消える、を繰り返して来た経緯です。

昨夏、トゥーヴァージンズというあまり耳にしたことのない出版社から復刊のオファーが舞い込みました。それもそのはず、書籍販売の営業アシストをメインの事業とする会社で、出版部門をここ最近立ち上げたといういわば若い会社だったのです。

僕の場合、インタビューや取材の話が来た際は「先ず友達になりましょう」と伝えており、今回も同様の返答をしました。後日2名の男性編集者がやって来たのですが、これまた若い。まあどうせまた同様のことになるのだろう、過度な期待はせずにお手並み拝見とタカをくくっていたところ、予想外にきちんとした青写真と行程案を用意して来てくれ「おや、いつもと違うな」と感心。これまでは編集者が上司の決裁を差し置いて先ずこちらに打診というパターンが多かったので、彼らの“既に社内コンセンサスが取れて来ている感”には意外でした。

2冊を合本にすること、サイズを大きくすることことなどこちらの意向が丸々受け容れられ、その後は彼らの情熱と行動力であれよあれよという間に編集作業諸々も終了、気がつけば校正紙の束に赤ペンでチェックを入れる日が来ていたという経緯。この期間の彼らの集中力は見事なものでしたが、それもそのはずふたりともがFLAT HOUSERだったのです。それまでのことがあるとはいえ彼らを見くびっていた自分を反省しましたが、これまでのどの社とも復刊に対する熱量と取り組み姿勢が違っていたのはそういうことだったのかと腑に落ちました。

斯くして今春『FLAT HOUSE LIFE 』と『FLAT HOUSE LIFE vol.2』は30ページを加えた400ページとなって再編集され、版型もB5にサイズアップし『FLAT HOUSE LIFE 1+2』とタイトルも改にめでたくリバース致しました。これもひとえに熱きFLAT HOUSER編集者たちのおかげと感謝しております。諦めずにいれば必ずや手を差し伸べてくれる理解者が現れるのだと確信した次第です。


それにしても改めて本を見直すとその数に愕然、判っているだけでも既に半数近くが解体されてしまっていました。特にこの2~3年再開発のピッチがヒステリックに急加速しているように映ります。税制の「改悪」と東京五輪の「開き直り開発」の煽りが首都圏を軸に全国波及しているのかもしれません。今回あたかも辞典のような姿にトランスフォームしたこのまことにクレイジーな一冊が、全国の古家、古民家、米軍ハウスや文化住宅を愛好する人々の念を改めてパイルアップし、新しい世代にその熱が反映してくれたらと願っています。

                                    
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2017.03.10

湯の街のモンマルトル


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昭和漫画家の巨人たち若き日の梁山泊だった豊島区のトキワ荘を取り壊すニュースが走った時、僕はまだ十代だった。そんなガキでも「なんというもったいないことを!!」とかなり激昂したことを覚えている。これを残しておけばゆくゆくは観光資源(というコトバは使わなかったと思うが)となるはず、それを目先のカネに絆(ほだ)されるとは大馬鹿モノ揃いだなというような話をクラスの友人とした記憶もある。

それから30余年経ち、彼の荘のレプリカを作って観光の呼び水にしようという計画があるようだが、それ見たことかと失笑した。そんなことなら最初から解体を許したりせずに、彼ら巨匠漫画家たちで散々儲けさせてもらった出版社が買い上げて守れば良かったのだ。覆水盆に返らずの極みといってしまえば簡単だが、先見の明とセンスのない者が決定権を持つ社会は本当に怖いと感じる。

また東京では「新・トキワ荘計画」なるものが始まっているらしい。しかし見たらマンションに若者を詰め込んでいて至極ガッカリした。まあそこに気持ちが向いて来たことはいいんだが、そうじゃないんだよなあ。あまりお膳立てし過ぎるのもヨロシくないし、自然発生的に集まらないといけないんだが、なによりワンルームマンションじゃないだろうに。中には木造戸建てもあるようだが、いずれも取って付けた感じ。住めりゃいいんでしょといった体。

大分県の別府の街にもトキワ荘を連想させる物件がある。《清島アパート》がそれだ。美術家としての成功・自立を目指す人々&目指さずとも活動を続ける人々が集う2階建ての木造住宅。ルックスから言えばこちらの方がよっぽど「新・トキワ荘」である。NPOが関わっているようなので純然と自然発生的に集まったというワケでもなさそうだが、かといって誰かが「こいつは後々話題になってカネに繋がる」なんていってあざとく集めたわけでもないので、募集などはかけたにせよ限りなく自然に聚合したように思える。

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なにより、戦後すぐに建った木造集合住宅という部分が素晴らしい。東京都心ではこんな物件をこんなふうに使わせてくれる大家は先ずいないだろう。その前にすでに物件自体がない。首都圏ではバブル期にこの手の住宅の大半が解体消滅、奇跡的に残ったものでも税制が変わって絶賛取り壊し中。あるとしたら撮影スタジオの中くらいだろう。改めて、何てことだ!と叫びたくなる。

おおむね「汚い・危ない・カネにならない」の「3ない」が古家の解体の理由だったりするが、木造古家が住む人に与える好効果を世間はまだよく判っていない。大借金して買うくせに家を単なる“シェル=殻”と軽んじる空気が世の中にはまだまだ強いのである。

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ナントカ遺産みたいにオーソライズされるとたちまち過剰と思えるほど大事にし出すのに、値札やキャプションが付かないものに対しては本当に冷めたい。こういった古家物件こそ町並み形成には重要なセットなのに、その辺の審美眼がウチの国民には絶望的に無い。これは「他人に言われるとそう思えなくもないが、自分では善し悪しを決められない」という国民癖のような性質が起因している。自分で決められないというのは、価値判断の幅が狭いということで、多様なモノを見て育っていないということの現れだと僕は考えている。自分で勝手に考えるな、こっちで決めたことを考えればいいのだという教育の潜在指針の賜物でもあるだろう。

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この呪縛は個々人が大人になってから自らで解くしかない。それにはいろいろな土地へ行き、さまざまな職業のいろいろな価値観を持つ多様な人々と出会って彼らの暮らしを垣間見せてもらうことだ。小学校から会社を辞めるまで続いた集団社会時代を脱け、古い住宅に住んで絵や本を書いたりしているうちに、確信を持った。

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そして街興しにありがちなアートジャック的カスタマイズがされていないところもこのアパートに好感が持てるポイントだ。美術家・芸術家が住んでいるから住居にまで何かを施す、という行為はジツに無粋なセンス。モンマルトルのアトリエ跡に壁画やインスタレーションがあるだろうか。名作を残した画家はそんなところで主張などはしない。彼らがそこで静かに作品を作っているという事実があれば良いのである。

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2017.01.07

もうなのかなのか


*


もう七日なのか

この言葉も例年吐いているような気がするが、大晦日からもう1週間が経つ。年をまたぐと1週間前のことが実際よりももっと以前のことのような感覚に陥るというのが不思議だ。例えばクリスマスが2週間前ではなく、もっと過去にあった感じがしないだろうか。

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それはもしかすると太陽の光の加減が年をまたぐと事実ぐっと変わるのかもしれない。と、九州に来てから強く思うようになった。日本古来の旧暦=太陰暦で測らなければつじつまが合わないようにも思えるが、福岡県福津市の宮司浜のこの季節の夕暮れを見ていると、新暦=太陽歴でもこの仮設は不思議と当てはまるのである。

ここの海岸の入り口には鳥居があり、それと1kmほど内陸に入ったところにある宮司嶽神社の鳥居とが参道を介して一直線に結ばれていて、年に2回その鳥居の中にスッポリと嵌るように落ちる夕陽が拝める。それを待たずしてもこの時期のここの日没は神々しい。やはり12月の雰囲気と今月とではがらりと変わる印象が僕にはある。

その昔は交易の要衝で、さまざまなことがこの界隈を中心に決められたのではないかと推測される九州北部は尚更その感があるのだろうか。大晦日と元日のたった数時間の間に「旧年」と「新年」があるこの時期は、「時間の経過」の何たるかを教えてくれているようにも思える。大切に生きろなのか、早く成し遂げろなのか、それとも諸行無常、なのか。

生命がある、ということのほかに動物も昆虫も植物も平等に晒されているものがこの「時間の経過」だ。この惑星に乗っかっている限り、みな同じ速さの時間経過の中で息をし何かをしている。と、考えると自分以外もソコハカとなく愛おしく思えて来るし、幾ばくかの責任も感じるし、やり切れなさも感じる。少なくともオマエは生きている価値がないとかあるとかの議論が浅く愚かに聴こえるようになる。

今年はどう生きるか、いつもは重要なことをはっきりさせずにヘラヘラしている僕らもこの時くらいは真顔で考えても良いと思うがどうだろう。


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